陸軍主計候補生の教育
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「陸軍経理学校」の記事における「陸軍主計候補生の教育」の解説
1903年(明治36年)12月、陸軍武官官等表中改正(勅令第182号)が施行された。この改正により従来の将官相当官であった監督総監、監督監がそれぞれ主計総監、主計監となり、上長官の一等から三等までの監督が一等から三等までの主計正に階級名が変更された。また士官の一等から三等までの監督補と一等から三等までの軍吏が、一等から三等までの主計に統一された。 陸軍武官官等表中改正による陸軍経理官の階級は次のとおり(1903年12月時点)。 経理部 将官相当官: 陸軍主計総監(中将相当) 陸軍主計監(少将相当) 上長官: 陸軍一等主計正(大佐相当) 陸軍二等主計正(中佐相当) 陸軍三等主計正(少佐相当) 士官: 陸軍一等主計(大尉相当) 陸軍二等主計(中尉相当) 陸軍三等主計(少尉相当) 准士官: 陸軍上等計手(特務曹長相当) 下士: 陸軍一等計手(曹長相当) 陸軍二等計手(軍曹相当) 陸軍三等計手(伍長相当) 下士: 陸軍一等縫工長(曹長相当) 陸軍二等縫工長(軍曹相当) 陸軍三等縫工長(伍長相当) 下士: 陸軍一等靴工長(曹長相当) 陸軍二等靴工長(軍曹相当) 陸軍三等靴工長(伍長相当) 同じ1903年12月、陸軍補充条例中改正(勅令第185号)が施行された。同改正により経理部現役士官の補充は陸軍主計候補生のうち三等主計の資格を与えられた者によることが定められた。主計候補生の有資格者は次のとおりである。 中学校またはこれと同等以上の学校を卒業し、召募試験に及第した者。 一年志願兵のうち隊長の保証を得、かつ召募試験に及第した者。 陸軍現役経理部下士のうち隊長または所属長官の保証を得、かつ召募試験に及第した者。 上記3条件のいずれかを満たし、年齢18歳以上、21歳以下(経理部下士からの志願者は26歳以下)、身長五尺以上の者が採用され主計候補生となる。准士官、経理部以外の現役下士、一年志願兵以外の兵卒、および陸軍諸学校の生徒は対象外であった。 陸軍部外または一年志願兵から主計候補生として採用された者は各師団に配賦され、師団司令部所在地の歩兵連隊で約9か月間、同じ連隊の歩兵科士官候補生とともに軍事教育を修得する。この軍事教育中に歩兵一等卒から上等兵、伍長の階級まで進み、陸軍経理学校へ入校する際に歩兵軍曹の階級となる。その間、経理部下士から主計候補生に採用された者は従来の勤務を続け、陸軍部外または一年志願兵から採用された主計候補生と時期を同じくして歩兵軍曹の階級で陸軍経理学校へ入校するという手順であった。 陸軍経理学校生徒としての修学を終えた主計候補生は卒業試験を受け、及第すると見習主計(兵科の見習士官に相当)を命じられ退校し、約6か月以上経理部士官の勤務を修得すると定められた。その後に師団内の会議を経て、可決された者が三等主計に任官する。 1904年(明治37年)4月、前年11月末に上記の陸軍補充条例中改正とあわせ公布されていた陸軍経理学校条例改正(勅令第191号)が施行され、同校の教育体系は再度刷新された。改正された学校条例第1条で陸軍経理学校は「陸軍主計候補生を生徒とし陸軍経理部初級士官たるに必要な教育を施し、および陸軍経理部士官中より選抜せる者を学生とし高等の学術を修めせしむる所」と定められた。学校の編制には生徒が起居する生徒隊が加えられた。 学校条例改正による陸軍経理学校の被教育者は次のとおり(1904年4月時点)。 生徒 陸軍三等主計となる教育を受ける。 陸軍補充条例で定められた主計候補生。修学期間は約1年9か月 学生 陸軍上級経理官となる教育を受ける。 現役一等または二等主計のうち検定試験に合格し採用された者。修学期間は約1年。 学校条例改正第21条では学生卒業者のうち優秀者は陸軍大臣の命により員外学生として「帝国大学に入学せしめ必要なる科学を研究せしむる」ことも可能とされた。また今回の改正でも附則として「当分のうち」主計講習生を置くことが定められた。主計講習生は現役上等計手から選抜された者が採用され、修学期間は約6か月である。同年12月、上等計手44名が陸軍経理学校に入校した。 1905年(明治38年)9月、主計候補生第1期の生徒79名が陸軍経理学校に入校した。主計候補生制度は、陸軍士官学校で教育を行う各兵科の士官候補生制度に準じたものである。それまで経理士官の補充は、兵科将校から転科、准士官または下士の進級、陸軍外の高等教育卒業者より採用と多様であったが、いずれも一長一短があり完全ではなかった。さらに当時の陸軍において多元補充は団結を阻害するとの思潮があり、兵科将校が士官候補生のみによる一元補充であることにならって抜本的な制度改革が実行された。 以後、陸軍主計候補生の制度は順調に発展し、陸軍経理学校は経済的負担のない官費学校として陸軍士官学校などと同様に旧制中学校卒業後の進路選択肢に加わった。主計候補生には素質、能力ともに優秀な者が集まり、初期の出身者は大正時代には経理部の中堅となり、進級を続けて昭和時代になると指導的な位置に立つ高級経理官も輩出する陸軍経理の中心的な存在となった。 1911年(明治44年)10月、従来の陸軍補充条例を廃し陸軍補充令(勅令第270号)が施行された。令第16条で陸軍部外から主計候補生を志願する者は中学校または同等以上学校の卒業成績が優秀な場合、召募の学科試験を免除されるようになった。同じ第16条では陸軍部内の採用範囲を「現役下士中、中学校卒業以上の学力を有し、品行方正、志操確実なる者」と、従来の経理部下士のみから各兵科の下士にまで広げた。令第19条では下士より主計候補生に採用された者も採用と同時に一等卒として陸軍部外からの採用者とともに歩兵連隊で約9か月間勤務し、軍事学を修得することに改められた。また令第20条で主計候補生の階級が従来は歩兵伍長であったものが三等計手に、陸軍経理学校入校時において歩兵軍曹であったものが二等計手に改められた。
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