関係者が出資して当社方式で運営されたもの
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「白木屋 (デパート)」の記事における「関係者が出資して当社方式で運営されたもの」の解説
京濱デパート 京浜百貨店 分店開設の一環として、京浜電気鉄道(現在の京急線)の品川乗入に伴て出来る高架下に品川分店を開設する計画を立てたが、日本百貨店協会が支店などの開設を自粛する自制協定を発表したことに伴い、それに抵触するとして直営での出店を断念し、京浜電気鉄道と当社の取引先の取引問屋が出資して1933年(昭和8年)に資本金10万円で株式会社京浜デパートが設立したもの。 京浜電気鉄道品川駅の地階と地上1階の計約1,000坪の品川店を開設したのが皮切りに、1934年(昭和9年)9月に蒲田分店、1935年(昭和10年)3月に鶴見分店、同年5月5日に川崎分店を開店するなど母体企業である京浜電気鉄道の沿線での多店化を推し進めた。 1933年6月 京浜電気鉄道と合弁会社設立。1948年京浜急行電鉄(京浜電気鉄道の後身)に当社の持株を売却。現・京急ストア。なお、京急百貨店は京浜急行電鉄の子会社ではあるが、1996年(平成8年)に開業した全く別の店である。 詳細は「京急ストア」を参照 菊屋デパート 京濱デパートが京浜電気鉄道沿線以外に出店する際に使用した屋号で、池袋駅に木造2階建てで売り場面積2,347m2の池袋分店を1935年(昭和10年)2月に開設したほか、同年12月に高田馬場分店を開設した。 1940年(昭和15年)3月15日に武蔵野鉄道に営業譲渡して武蔵野デパートとなり、1945年(昭和20年)春に戦災で全焼し、戦後の1949年4月27日に西武百貨店へ商号を変更して同年末に営業を再開している。 詳細は「西武百貨店」を参照 京阪デパート(天満橋駅、天神橋駅) 当社の当時の大阪支店長・藤崎正太郎が京阪電気鉄道から自社のターミナル駅での百貨店経営への参画を依頼され、1932年(昭和7年)11月15日に資本金100万円で設立したもの。 同年12月1日に天神橋駅に京阪電気鉄道の直営で営業していた天六京阪マーケットとそれに付随する天六の京阪食堂や千里山や枚方、天満などに展開していたデポーと呼ばれる出先の店舗の資産と営業の全ての譲渡を受けて京阪デパート天六支店としての営業などを開始し、1933年(昭和8年)9月23日に鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建ての店舗が完成して京阪デパート天満店として開業した。 第2次世界大戦終戦直後の1945年(昭和20年)8月28日に会社解散となり、天満店などの店舗の建物は京阪電気鉄道が戦時統合で阪神急行電鉄と合併して1943年10月に設立された母体企業の京阪神急行電鉄に買収された。天満橋店の営業も京阪神急行電鉄に譲渡されて同社が当時直営していた阪急百貨店の一部となり、阪急天満橋マーケットとして1946年(昭和21年)に営業を開始した。1947年(昭和22年)4月1日に京阪神急行電鉄の百貨店部門が「株式会社阪急百貨店」として独立したことに伴い、阪急百貨店天満橋支店となった。 1966年(昭和41年)にビルを建て替え、松坂屋大阪店が日本橋から移転した。しかし、黒字化できず、2004年閉店。京阪シティモールとなった。 1985年(昭和60年)、京阪電気鉄道の子会社がこの京阪デパートと別の流れで京阪百貨店を開業した。 詳細は「京阪デパート」を参照
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