長尾氏家臣
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宇佐美定行 謙信の軍師。越後琵琶島を領する有力な豪族で、少壮の頃から知勇兼備と謳われた才人。教養人であるため、永正の乱の際には主君・房能の暴政を苦々しく思いながらも忠節道徳を貫くために敢えて為景と干戈を交えた。戦は為景の勝利に終わるものの、宇佐美の智謀に手を焼いた為景は降伏を促し、以後は旧怨を忘れて能臣として仕えた。 為景の死後の混乱の中で年少の謙信を引き取ることになるが、やがて兵学の手ほどきをするうちに大器を見い出し、乱れた越後を統一する傑物と考えて手厚く養育した。謙信が成人して後は軍師として活躍し、謙信の最も信頼する家臣として主人を補佐した。 乃美 宇佐美定行の娘。謙信が少年期に宇佐美の屋敷に寄寓していた際に知り合う。謙信に好意を持ち、一つ歳下の謙信に姉のように接した。謙信も乃美に好意を持ち一時は妻に迎えることも考えたが、男女の愛欲を嫌悪することから夢に現れた毘沙門天の啓示に従って女色を断つことを誓い、乃美への恋慕を捨てることを決意する。その後も乃美は謙信への想いを抱き続けて嫁にも行かず、春日山の毘沙門堂の本尊に願をかけ、謙信の息災を願って謙信の好んだ笛を吹いた。 謙信が信玄との決戦に乗り出した第四次川中島の戦いの直前に重い病に斃れ、死の床につく。乃美を見舞った謙信は、命懸けの決戦を覚悟していたことからそれまでの想いを告白し、病が癒えた後に正室に迎えることを約束して戦いに赴いた。しかし乃美はほどなく体調を崩して喀血し、謙信の果報を一心に祈りながら息を引き取った。 柿崎弥二郎 謙信配下の武将。越後国きっての豪傑で、戦場での剽悍さと部隊指揮の上手さは越後中に知られている。 並ぶ者なき猛将として名を馳せる一方で離叛常ない背腹者としても知られ、利があると見るや簡単に主君を裏切ることもある。ひどく好色であることから、殊に美女を使った誘惑に弱い。謙信は柿崎の離叛癖を警戒しながらも武将としての能力は高く買い、幾多の戦いで重用し続けた。 服部玄鬼 為景に仕えていた伊賀忍者。為景の命を受けて様々な隠密活動に暗躍し、為景の死後は跡目を継いだ晴景に仕える。 晴景が謙信と対立した際に暗殺の命を受けて仲間の忍者・飛加当とともに謙信のもとに忍ぶものの、折悪しく鉄砲の稽古をしていた謙信に見つかり、胸を射ち抜かれて死亡する。 松江 為景の側女。元は百姓女だったが、為景が鷹狩に出た際に暴れ馬を取り押さえたところを見初められ側女となる。しかし御殿に上がった後も粗野な所作を改めようとせず、百姓生まれ丸出しの朴訥さで振る舞い続けた。幼少の謙信をひどく可愛がり、さながら母親代わりに謙信の面倒を見た。利かん気で誰にもなつかなかった謙信もこの松江には愛情を感じ、常に傍らを離れず実母のように慕った。 暴れ馬を取り押さえられるだけあって、並の男が束になってもかなわない怪力無双の女傑。為景が戦場に赴く際も常に付き従い、鎌倉時代の板額さながらの働きを見せて敵味方を問わずに恐懼された。為景が戦死した後は一時期尼となり、越中の廃寺に住み着き為景の菩提を弔って過ごしていたものの、やがて謙信と再会し、郎党の小島弥太郎と惹かれ合い夫婦となる。以後は謙信の幕下で女武者として活躍し、得意の薙刀を振るって度々軍功を上げ、特に栃尾城の戦いでは夫の弥太郎とともに長尾俊景を討ち取った。 藤紫 晴景の愛妾。公家の堂上衆の出であったが乱世の中で家が没落し、京の上臈を欲した晴景に買われて越後に来た。弟の源三郎も美貌だったので晴景はこれも寵童にし、姉弟ともども戯れるという倒錯行為に惑溺した。晴景の寵を笠に権勢を恣に振るい、民をいじめ抜いて国中から怨嗟を買った悪女であり、謙信の女嫌いを助長する一因となった。 謙信と晴景の対立の際には、晴景の旗色が危うくなるや晴景を置き捨てて逃亡した。逃亡の最中に越中の豪族・鈴木国重の妾となって再び御殿生活を愉しむが、やがて謙信が越中に攻撃をかけた際に捕らえられる。死罪の声が上がる中、謙信は藤紫の身を案じた晴景の遺言もあり助命しようと考えていたが、命惜しさに艷冶な媚態をつくろう態度が女嫌いの謙信の神経を逆なでし、一刀の下に斬首された。
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