金属鉱床研究者としてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 金属鉱床研究者としての意味・解説 

金属鉱床研究者として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 23:29 UTC 版)

大町北一郎」の記事における「金属鉱床研究者として」の解説

北海道大学時代1949年1955年)に指導教員鈴木醇教授同僚たちとともに北海道中心とした金属鉱山記載精力的に行った。その対象多様で、テルルマンガンビスマス、銀、鉱床記載など多岐にわたっている。これらのうち特に関連する研究大町大きな業績一つであり、その後地質調査所以降においても精力的に調査続け論評行った工業技術院地質調査所1956年現国研究開発法人産業技術総合研究所地質調査総合センター)に移ってからは、主に特別研究「低品位鉄鉱石調査研究」に従事し、さらに国内外中心とした資源調査行い多く報告書まとめている。また、昭和29年から全国ウラン調査長期計画として始まり大町もそれに携わった。さらに、地質調査所基幹業務である地質図編纂や特に昭和32(1957)年から始まった200分の1「日本鉱床図」(時代別I~IV)の調査編纂携わった金属鉱物探鉱促進事業団 (1966年~ 現独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構)に移ってから広域地質構造調査軌道乗せた。これは戦後の日本産業昭和30年代神武景気岩戸景気きわめて高い成長を示す中で、国内地下資源産業国際競争の渦に飲み込まれ激し試練受けようとしていた。この流れの中で、政府はこれら地下資源積極的な開発とその安定供給を図る方針のもと、「国による地下資源埋蔵地域基礎調査早急実施」などの国会決議により、特別研究として地質調査所昭和38年度から「広域調査研究」が始まり昭和41年度から事業団引き継いで実施することになったこれに伴い大町は、広域調査中心メンバーとして、広域調査研究精密調査企業探鉱による三段階の探鉱助成方式軌道乗せたまた、1968年昭和43年)度から海外鉱物資源安定確保のために始まった海外地質構造調査」に大町海外調査課長として当初から携わり国内システマティック実施され三段階の探鉱助成方式システム海外においても導入し海外プロジェクトチリザイールカナダマレーシアなど7つ)を企画実施して実績上げた地質調査所鉱床部長1971年~) 時代にはつくば移転や、地質標本館建設などに携わりながら、日本資源問題についてや、地質調査所海洋地質部長 (1977年~) になって海底鉱物資源 (マンガン団塊) 調査方針作成などを取りまとめるとともに海洋資源について精力的に取りまとめた。 山形大学異動1980年〜)後は教育軸足移しつつも、科学研究費補助金総合研究(A)深海底多種金属資源生成環境鉱物鉱床学研究課題番号57340048)」の研究代表者として、国内外大学所属する研究者による海洋鉱物資源研究組織化し多大な成果上げた

※この「金属鉱床研究者として」の解説は、「大町北一郎」の解説の一部です。
「金属鉱床研究者として」を含む「大町北一郎」の記事については、「大町北一郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「金属鉱床研究者として」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金属鉱床研究者として」の関連用語

1
大町北一郎 百科事典
10% |||||

金属鉱床研究者としてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金属鉱床研究者としてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大町北一郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS