金属資源利用の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 08:54 UTC 版)
人類が初めて金属を利用したのは、紀元前4000年頃のメソポタミア北部アナトリア高原で自然銅が道具に加工された。その後銅の鉱石からの精錬も行われるようになった。銅に続いて錫が銅との合金青銅を作るために使用された。青銅は銅より硬くて強いため武器や道具や容器に一般的に使用されるようになった(青銅器時代)。その後砂金から金製品が作られるようになり、古代エジプトでは多くの金製の装飾品が作られた。 鉄の使用は紀元前1400年頃から始まったが、当時まだ鉄鉱石から鉄を精錬する技術はなく、組成分析から鉄を主成分とする隕石(隕鉄)を精錬したものと推定されている。鉄器は武器や工具として青銅よりも優秀であるため青銅に代わって金属の主流となり、精錬法も確立・改良された。中世以後の研究に伴い多くの金属元素が発見され19世紀末にはほとんどの金属元素が発見されたが、一部の金属を除き使用されることがなかった。実際に多様な元素が工業的に使用されるようになったのは20世紀からである。現在希少元素として重要視されている希土類などの元素の探求も鉱床学の分野である。 また古くから使用されてきた金属でも 資源の枯渇や精鉱・精錬技術の進歩により旧来とは異なったタイプの鉱床が開発されるようになった。例えば日本はかつて銅の大産出国であったが、その鉱床はいずれも熱水に由来する「鉱脈鉱床」(尾去沢鉱山や阿仁鉱山)・「スカルン鉱床」(釜石鉱山や長登銅山)・「塊状熱水鉱床、すなわち、黒鉱(小坂鉱山や花岡鉱山)やキースラーガー(別子銅山や日立鉱山)」等である。これらの鉱山は銅の含有率(銅品位)が高い鉱石が集中する鉱化部を有し(別子銅山で銅品位1.5%)、掘削はその鉱化部に沿って坑道を掘る形で行われた。これら日本の銅鉱山は現在資源が枯渇し、また外国からの安い買鉱に押されて、すべての鉱山は閉山された。現在諸外国で採掘されている主要な銅鉱石は斑岩銅鉱床で、銅品位は0.5%から1%と低品位であったため1900年代初期までは鉱床とみなされていなかった。しかし高品位鉱山の枯渇と精鉱技術の進歩により鉱床として価値が認められるようになった。これは直径1000-2000m、厚さ400-1000mという巨大な花崗斑岩全体がほぼ均一な銅鉱床を形成しており、大型機械で露天掘りして採掘している。
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