金の人物像とは? わかりやすく解説

金の人物像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 23:52 UTC 版)

金嬉老事件」の記事における「金の人物像」の解説

金嬉老窃盗などを重ねて1943年逮捕され終戦まで相愛少年保護院で過ごしたまた、1946年にも窃盗横領罪服役し同年離婚その後の約20年間も、窃盗詐欺強盗などの犯罪繰り返し刑務所出たり入ったりするような生活だった。 金嬉老事件人質監禁88時間警察包囲する人質監禁時間として当時日本最高記録になったが、1972年発生したあさま山荘事件人質監禁216時間更新された。 この事件機に警察狙撃隊創設され2年間で警視庁北海道宮城愛知大阪福岡の各警察本部機動隊)に100丁の豊和工業製ゴールデンベアライフル(狙撃ライフル)が配備された(銃器対策部隊創設)。狙撃隊初め出動したのは2年後1970年発生した瀬戸内シージャック事件であり、大阪福岡から部隊派遣された。 自殺追い込まれ看守に対して金嬉老何の感情反省持っておらず、他人事のような態度をとったことに対して特別弁護人務めていた佐藤勝巳は非常に驚き愕然と 述懐している。 獄中時代から田代まさしファンで、田代が金を訪ねた際には喜んだという(田代シャネルズでのデビュー事件から12年後1980年)。なおこの時期田代が自らの不祥事謹慎中であり、田代不祥事伝え聞いた金は「あの田代君がそんなことをするわけないじゃないかと言ってやったんだ」と田代話し田代正直に経緯を話すことができなかったと『創』の連載書いている。 事件の舞台となったふじみや旅館では、2010年2月20日事件から42年になるのを機に旅館内に資料館設け事件資料一般公開していた。しかし女将高齢化観光客減少理由に、2012年1月をもって廃業している。 在日朝鮮人中には金嬉老差別と戦う民族英雄見ているものがおり、新大久保高麗博物館などでは、そのような考え方に基づく展示が行われている。 金の特別弁護人務めていた佐藤は「民族差別があるから、この度事件起きたのだ」と主張する金に対し、「民族差別在日朝鮮人全体及んでいるが、殺人などほかの人たちはしていない。君個人にも責任があるのではないか」と反論した。これに対し「お前のような日本人にそんなことを言われる筋合いはない」「(他の在日朝鮮人は)勇気がないから(人を殺害しない)」と殺意を露わにして絶叫したエピソード紹介している。 事件以前からの金嬉老を知る親族は「人生大半刑務所過ごし、人から金をせびって豪遊する見え張りずるくて極端な男だった」として、在日本の同胞親族遺骨拒否されている。

※この「金の人物像」の解説は、「金嬉老事件」の解説の一部です。
「金の人物像」を含む「金嬉老事件」の記事については、「金嬉老事件」の概要を参照ください。

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