東伏見慈洽
(邦英王 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 10:16 UTC 版)
東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年〈明治43年〉5月16日 - 2014年〈平成26年〉1月1日)は、日本の僧侶。旧皇族。旧華族。久邇宮邦彦王の第3王子。旧名邦英王(くにひでおう)。香淳皇后の弟。第125代天皇・明仁(上皇)は甥、第126代天皇・徳仁(今上天皇)は大甥にあたる。妻は伯爵・亀井茲常の次女・東伏見保子。元衆議院議員・亀井久興は妻の甥。後述の経緯により1931年に皇族の身分ではなくなったが、皇族出身者としては記録に残る限りで一番長寿であった人物である(死去時点で103歳7か月16日、37851日)。
- ^ a b c d e “東伏見慈洽さん死去 天皇陛下の叔父”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2014年1月1日). オリジナルの2014年1月1日時点におけるアーカイブ。 2016年12月7日閲覧。
- ^ a b c “天皇陛下の叔父、東伏見慈洽氏が死去 103歳”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2014年1月1日) 2016年12月7日閲覧。
- ^ a b c d “東伏見慈洽師死去 天皇陛下の叔父、京都・古都税廃止に尽力”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2014年1月1日). オリジナルの2016年12月20日時点におけるアーカイブ。 2016年12月7日閲覧。
- ^ 学習院編『昭和12年9月 学習院一覧』学習院、1937年、p.335
- ^ 学習院編『昭和12年9月 学習院一覧』学習院、1937年、p.291
- ^ a b 学習院編『昭和12年9月 学習院一覧』学習院、1937年、p.255
- ^ 昭和5年宮内省告示第23号(『官報』第1012号、昭和5年5月17日、p.457)
- ^ a b 『官報』第1012号、昭和5年5月17日、p.483
- ^ 貴族院編『貴族院事務局報告』貴族院事務局、1932年、p.248
- ^ 昭和6年宮内省告示第7号『官報』第1277号、昭和6年4月6日、p.141
- ^ 『官報』第1277号、昭和6年4月6日、p.148
- ^ 『官報』第1279号、昭和6年4月8日、p.220
- ^ 京都帝国大学編『京都帝国大学卒業生名簿』京都帝国大学、1936年、p.312
- ^ 磯子区歴史年表 昭和2年~20年 磯子区総務部
- ^ 磯子区歴史年表 昭和21年~45年 磯子区総務部
- ^ “書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2017年7月20日閲覧。
- ^ 1985年(昭和60年)3月、京都府仏教会と京都市仏教会が統合して財団法人となった(京都仏教会編「古都税反対運動の軌跡と展望-政治と宗教の間で」)。
- ^ a b “会報『武徳』” (PDF). 大日本武徳会 (2014年10月). 2019年12月27日閲覧。
- ^ 『官報』第849号、「叙任及辞令」、昭和4年10月28日、p.672
- ^ 『官報』第1499号、「叙任及辞令」、昭和5年12月28日、p.742
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ a b c d e f g h i j 人事興信録45版ひ24
- ^ a b 週刊新潮2011年12月8日p28
- ^ https://project.nikkeibp.co.jp/behealth/atcl/feature/00003/101300245/
- ^ 平成新修旧華族家系大成下p390
- 1 東伏見慈洽とは
- 2 東伏見慈洽の概要
- 3 血縁
固有名詞の分類
- 東伏見慈洽のページへのリンク