運航停止、再生
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1998年9月23日 - アジア金融危機の影響を受け、PALは運航を停止。労働組合による争議行動によって悪化。ほとんどの路線を運休し、保有機材を大幅に削減。PALの運航は1998年10月7日に限定的に再開。 1999年6月4日 - 会長のDr.ルシオ・C・タンと共同経営者による200万USドルの資本注入後、フィリピン証券取引委員会は、PALの財政的実行可能性のために設計された再生計画を承認。PALは完全な業務再開を目指す。 2000年3月 - 再生法下の1年目である1999〜2000年度には、4億4,200万フィリピンペソの純利益を計上。その結果、6年連続の損失に終止符を打ち、フィリピンのビジネスの中で最も劇的な復活を遂げる。 2001年3月 - 再生法下の2年目、2000〜2001年年度には4億1,900万フィリピンペソの利益を計上。 2002年8月 - 内容を一新し、さらに強化されたマイレージプログラム、マブハイマイルを発表。 2003年3月 - 2002〜2003年度には、2億9,500万フィリピンペソの純利益を計上。 5月 - 運航状況をリアルタイムで確認できるオンラインの出発・到着案内を提供開始。 6月 - 新しい予約エンジンを導入。国外27都市、国内20都市に広がるネットワークに、沖縄を新たに追加。 10月 - 5年ぶりにマレーシアのクアラルンプール線を再開。 12月 - 機齢が若い30機の保有機材に、5機目のB747-400を追加。 2004年2月 - 57年の歴史で最大のインタークラブゴルフトーナメントを主催。日本語ウェブサイトにオンライン予約サービスを追加。 3月 - 創立63年目にして、ラスベガス線就航。 4月 - 国内線21番目の就航都市、ラオアグ線を6年ぶりに再開。 5月 - Eチケットを導入。電話またはインターネットで予約、支払い、座席指定が可能に。 12月 - 2機の新型エアバスA320機を導入。保有機材の若返りを促進する取り組みの一環。 2005年3月 - 前月に中部国際空港が開港したことに伴い、長く待ち望まれていた名古屋(中部)線を開設。日本で5番目の就航都市となる。 11月 - 中国の首都への直行便となる、マニラ−北京間の定期便就航。 12月 - 約840万USドル相当の契約では、新しいA320 9機を発注。さらに5機のA320を追加するオプションあり。 2006年5月 - IATA(国際航空運送協会)の加盟資格を維持するための要件であるIOSA(国際航空運送協会の安全監査)に合格。フィリピン籍の航空会社としては、IATAに安全性が認められた唯一の航空会社に。 6月 - ナガでのEチケット導入が完了したことで、フィリピン航空国内線全路線がEチケットに対応。 2007年5月 - ネットワーク全体の全ての路線でEチケットの導入完了。 6月 - 2007年3月31日に終了の会計年度で1億4,030万ドルの純利益を計上。フィリピン航空の66年の歴史の中で最大の年間利益となる。 8月 - 8機目のエアバスA320ファミリー航空機を購入。2006年9月に開始した、8億4,000ドルにおよぶナローボディ機の近代化プログラムの中間点。新しいA320ファミリーのジェット機最大20機を契約。そのうち9機の注文は確定、6機はリース、5機はオプション。 11月 - CAPA(Centre for Asia Pacific Aviation)により「Airline Turnaround of the Year 2007」に選ばれる。エアバスA320ファミリーの9機目を受領。ヨーロッパの航空機メーカーおよび航空機リース企業にPALが発注した新しい20機のナローボディ機の一部。 10月 - 管財人による管理が終了。
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