運航停止と復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 13:49 UTC 版)
「ファーイースタン航空」の記事における「運航停止と復活」の解説
世界的な原油価格高による燃料費の高騰や、台湾高速鉄道の開業による国内線需要の落ち込みなどを受け、2008年に入ってから急速に経営状態が悪化、燃料費の支払いが滞り、5月には運航停止に追い込まれた。 運航停止後、マクドネル・ダグラスMD-83などの保有機体は台北松山空港にて野ざらしになっていたが、2010年1月12日に運航再開計画書が提出された。その中では5月より台北松山-金門線などの国内線を週56便、中国への直行便を週14便就航させ、9月末までに四段階で運航本数を増やしていく計画が盛り込まれている。加えて、富山、九州、函館、旭川など、日本の地方都市への就航計画も含まれていた。 2010年6月、操縦士の募集を行うなど準備が進められた。2010年11月27日、台北松山空港にてB-28025(MD-83型)機の試験飛行を実施した。台湾政府の交通部民航局は同29日、営業運航再開にはあと1機の試験飛行成功と、5千万台湾ドルの運営保証金の準備が必要との条件を示した。 2011年4月18日午前8時55分(現地時間)、台北松山空港から再開後1番機が金門空港へ向けて飛び立った。2年11カ月ぶりの運航再開であった。5月1日からは、台北-金門線が1日4往復に増便された。また、交通部民航局は三通による大陸路線の増便分を遠東航空に優先して割り当てる方針を示していた。
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