逮捕・第3波計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:36 UTC 版)
小沼と菱沼は警察の尋問に黙秘していたが、両人が茨城県那珂郡出身の同郷であることや同年齢 (22歳) であること、犯行に使われた銃が同型 (ブローニング6連発) なことから警察は付近で聞き込み、まもなく2件の殺人の背後に、井上を首魁とする奇怪な暗殺集団の存在が判明した。 逮捕後取り調べを受けた小沼は、血盟団の存在を知られないよう曖昧な供述に終始した。凶器の拳銃の入手先については、当初、日本国民党の寺田稲次郎の家から盗んだと言っていたが、すぐに海軍の伊東亀城の荷物から盗んだと供述を変え、警察も拳銃の出所は伊東と断定した。 ただ、警察は伊東の線をこれ以上調べようとしなかったことから、後の研究では、これは警察の怠慢であり、五・一五事件を未然に防ぐ機会を逸したと批判された (この点に関しては後述)。 警察は小沼の背後に何らかの指導者か関係団体が存在するはずと見ていた。調査から小沼が事件前日に井上夫人宅に泊まっていたことが判明し、そこから井上一派の存在がわかり始め、大洗の護国堂での修行や、古内との関係、海軍将校との連携の存在なども次第に明らかにされていった。 更に、団琢磨暗殺後菱沼が逮捕されると、菱沼の身元調査から小沼の引き起こした井上準之助暗殺との関連がわかり、そこから警察による井上日召一味の人脈の捜査が始まった。団暗殺の翌日には「東京朝日新聞」に「『血盟五人組』の四人」とキャプションつきで小沼・菱沼・黒澤・川崎の写真が載り、同じ紙面で「怪しい教員と僧」との見出しで古内と井上が事件の黒幕であると報道された (当時はまだ血盟団という呼び方は使われておらず、「血盟暗殺団」「血盟隊」という言い方がされていた)。 一方、古内と四元は第三波を計画していた。二人はテロ実行役として黒澤を指名、暗殺対象を決めるため四元は日召の元に足を運んだ。 池袋は、逮捕者を「茨城組」までで留め置き、残った「学生組」で第三波の暗殺を実行することを主張した。そのためには四元を警察から釈放させる必要があった。このことから、池袋は古内に自首することを勧めた。古内はどうしても自分の手で暗殺に着手したかったので、自首したくなかったのだが、池袋の主張に従って3月11日に出頭した。 一方、日召の潜伏先が頭山満の家 (潜伏していた場所は正確には、頭山満邸の一角にあった天行会道場で、頭山秀三の居宅) であることは警察も既につかんでおり3月11日の朝刊でも新聞報道されていて逮捕は時間の問題ではあったが、警視庁は頭山邸に踏み込むことが出来ず、代わりに関係者を通じて任意出頭を求めた。日召は「頭山先生の所に迷惑が掛かる」との考えから同日警察に出頭した。井上の自首にあたっては、本間憲一郎からの依頼を受けて、井上と旧知の間柄だった天野辰夫 (愛国勤労党員、弁護士、神兵隊事件の首謀者の1人) が割腹自殺を思いとどまり自首するよう説得にあたった。 日召の逮捕と共に学生組ら関係者14名が一斉に逮捕され、第三波の計画は未遂に終わった。 一方、入隊中だった川崎はアリバイが成立したため、警察に事情を聞かれたものの釈放された。さらに、血盟団と関係を持った海軍青年将校にまでは警察の手が伸びず、結果的に五・一五事件を許すことになった。従来は、警察は血盟団事件で使われた拳銃の出所の捜査から、血盟団と海軍将校とのつながりを把握していたが、警視庁・海軍省ともに調べを詰めなかった、と言われていた (拳銃の出所について警察が把握していた点までは、判決文に書かれている)。 この点については、警察・海軍省それぞれにやむを得ない事情があったことが北博昭によって指摘されている。警察側については、軍には憲兵隊が存在するため、制度上は警察が軍人を取り調べることが可能でも実際上は手を出すのが難しかった。海軍省側に関しては、取調べは軍法会議の管轄であり、対象となる将校が各地に散らばっており時間がかかったものの、血盟団事件をリードした古賀清志中尉、中村義雄中尉の取調べを5月16日に行うことが決まっていた。それを事前に察知した海軍将校グループが暗殺計画を縮小して直前の五月十五日に事件を起こしてしまったため、テロを未然に防げなかった。 後の公判で四元は帝大七生社と新人会の対立まで遡り、学生の就職難にあると動機を明かしている。
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