貸すも親切、貸さぬも親切
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:49 UTC 版)
「小原鐵五郎」の記事における「貸すも親切、貸さぬも親切」の解説
大崎信用組合に入社した若い小原は、夜間は産業組合中央会の勉強会に通い、簿記や法律など金融の基本実務の習得に励んだ。その産業組合中央会の弁論大会で小原は「銀行は利息を得るためにお金を貸すが、我々組合は、先様のところへ行ってお役に立つようにと言ってお金を貸す。たとえ担保が十分であり、高い利息が得られたとしても、投機のための資金など先様にとって不健全なお金は貸さない。貸したお金が先様のお役に立ち、感謝されて返ってくるような、生きたお金を貸さなければならない」と述べこれを「貸すも親切、貸さぬも親切」と要約した。 また、日頃から「お金を貸す」という言葉ではなく、「ご心配して差し上げる」という言葉を使い「銀行はお金を貸すことに目がいくが、信用金庫は、相互扶助を目的とした協同組織金融機関であり、まず先様の立場に立って、事業や生活のご心配をし、知恵を貸し、汗を流して、その発展繁栄に尽力することが大切であり、その上で、資金が必要ならばご融資し、お客さまのためにならない資金ならお貸ししないことが親切である」と指導した。 この「貸すも親切、貸さぬも親切」は、幕末に英国の商業銀行の横浜支店支配人として来日し、後に大蔵省のお雇い外国人として、日本人に銀行業務を教え、「日本の銀行制度の父」と呼ばれたスコットランドの銀行家アレキサンダー・アラン・シャンドが、英語を学ぶためにシャンドの使用人として銀行支店に勤めていた若き高橋是清(後の大蔵大臣)や、銀行業務について師事していた渋沢栄一などに教えた英国の正統銀行哲学(サウンドバンキング)を忠実に受け継ぐものである。 シャンドは、「有力取引先の息子が遊興費を借りに来ても、本人のためにならないお金を貸すことは銀行員として行なってはならない。忠告をして親切に断ることが大切である。これはロンドンおよびウェストミンスター銀行の支配人を務め、銀行学者として学士院会員にも選ばれたジェームズ・ウィリアム・ギルバートの所説である」と教えた。ちなみにシャンドは、日露戦争当時にイギリスに戦費調達に来ていた高橋是清を助け、多数の銀行に紹介して、国債の引き受けを成功させ、日本の窮地を救った恩人である。 かつてのバブル期において、大手銀行は、株式や土地、ゴルフ会員権、変額保険などの投機を取引先に勧め、そのための資金を積極的に融資した。その後のバブル崩壊、デフレ経済により、取引先は多額の損失を被り、不健全な融資を勧めた銀行に厳しい社会的批判が寄せられたが、こうした中で、城南信金は「貸すも親切、貸さぬも親切」に徹し、取引先のためにならない投機的な融資を断ったため、取引先に損害をかけず、同時に、健全経営を堅持することができたという。一見合理性のある収益拡大のための投機も、合理性を懐疑し、長い歴史的見地から判断して、社会の良識に反することは長くは続かないという判断が大切であるという英国流の経験主義が「貸すも親切、貸さぬも親切」の根本である。 また小原は、日頃、支店長会などでも「融資を断る時は、相手の気持をよく考えて、できるだけ親切丁寧にして、本当にすまないという態度、姿勢を示すなど、相手に十分に配慮しなさい」と教えた。融資を断るときには、たとえば上着を相手に着せ掛けてあげるとか、具体的に細かい仕草まで教え、断った相手が失意に陥らないよう、かえって感謝されるように、十分に配慮することが大切だということを強調していた。
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