貸与までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/21 09:59 UTC 版)
「ドラゴン級軽巡洋艦」の記事における「貸与までの経緯」の解説
第一次世界大戦後、ポーランド軍は西方のかつての大国ドイツや東方のソビエト連邦へ対抗するべく列強からの援助を得て陸軍は騎兵隊や装甲列車、空軍は国産の戦闘機や爆撃機など数は少ないものの優れた戦力を揃えつつあった。しかし、海上戦力では未だ発展途上の段階で、ヴェルサイユ条約に囚われたワイマール・ドイツ海軍とは言え、前弩級戦艦6隻に防護巡洋艦6隻と旧式駆逐艦10数隻の陣容は依然としてポーランド海軍にとっては脅威であった。 第一次大戦後にポーランド政府がフランスと交わした同盟規約には、フランス海軍は巡洋艦戦隊をバルト海に派遣する約束があり、その後には装甲巡洋艦2隻(もしくは準弩級戦艦「ダントン級」)・軽巡洋艦4隻・駆逐艦4隻・潜水艦3隻を派遣する旨へと強化された。しかし、自国の防衛を同盟国任せには出来ない事を長年の経験則的に知っていたポーランド海軍は1924年に海軍整備計画を発表した。その計画は14年間に巡洋艦2隻・駆逐艦6隻・水雷艇と潜水艦を12隻ずつ整備するという意欲的なものであった。。 しかし、フランスから駆逐艦「ブルザ級」2隻を、イギリスから大型駆逐艦「グロム級」2隻を取得した時点でドイツのポーランド侵攻により計画中止せざるを得なかった。ポーランド海軍艦艇のうち3隻の駆逐艦と一部の潜水艦はイギリスへの脱出に成功し、イギリス海軍の支援のもと、自由ポーランド海軍を設立した。この折に、ポーランド海軍司令官はイギリス側に駆逐艦以上の大型艦の貸与を申し出で。1942年にジャワ海から帰還してバーケンヘッド造船所で整備中だった「ドラゴン」を貸与することが決定し、1943年1月15日に自由ポーランド海軍で就役した。この時、自由ポーランド側では艦名を「ルヴフ」と改名することを望んだが、イギリスとソ連の外交関係への配慮もありポーランド海軍の歴史においても16世紀に建造されたガレオン船の艦名にも「ドラゴン」があり元の艦名のまま就役した。ドラゴンは対空火力強化のための改修工事途中で引き渡されたため工事が満了した8月末より引き渡された。運用は「ブルザ」「ブリスカヴィカ」「ガルラント」から一部の乗員を抽出して解決した。
※この「貸与までの経緯」の解説は、「ドラゴン級軽巡洋艦」の解説の一部です。
「貸与までの経緯」を含む「ドラゴン級軽巡洋艦」の記事については、「ドラゴン級軽巡洋艦」の概要を参照ください。
- 貸与までの経緯のページへのリンク