貸与政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 01:03 UTC 版)
1984年、当時中国の最高指導者であった鄧小平は、同年の1984年ロサンゼルスオリンピック開催中にロサンゼルス市へとパンダ2頭が一頭当たり月額5万ドルで貸し出したことを皮切りに、パンダの贈与ではなく、貸与とする方針に切り替えた。この慣習は1991年に長期貸与に改められた。これは、中国が他国にパンダを提供する場合、10年単位の貸し出しのみとするものだった。標準的な貸し出し条件には、年間100万ドル以下の手数料と、貸し出し期間中に生まれたパンダは中華人民共和国の所有物とするという条項が含まれている。1998年以降、世界自然保護基金の訴訟により、合衆国魚類野生生物局は、中国が貸付金の半分以上を野生のパンダとその生息地の保護活動に充てることを保証できる場合に限って米国の動物園によるパンダの輸入を許可している。2007年のパンダ2頭の香港への寄贈は、表向きはこの融資モデルの例外とされるが、パンダ外交のうちには入らないとも言えるだろう。 2008年の四川大地震が同省のジャイアントパンダ保護施設に甚大な被害を及ぼしたことで、60頭のパンダが新たな施設を必要とした。中国と好調な貿易関係を築いていた関係国や、ウランを輸出していたオーストラリアのように、中国にとっての必需資源を提供していた国などからの支援を中心に、新しい施設が建てられた。
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