誕生 - アンダーグラウンド界での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 15:19 UTC 版)
「ビル・コスビー」の記事における「誕生 - アンダーグラウンド界での活躍」の解説
1937年、第二次世界大戦直前に、軍人の父の元、ペンシルベニア州,フィラデルフィアで生まれる。幼いころからユーモアに溢れた性格だった様で、子供時代は自身の事を「クラス・クラウン(学級内のピエロ)」と呼んでいたほど。その注目を浴びる性格からか、小学校時代は学級委員長や、地元の野球チームのキャプテンまで務めいていた。 その後、中学へ進学した彼は遊びで演劇をするようになる。また、この頃、次第にスポーツへも本格的に没頭し始めていた彼はバスケットボールや野球等、様々な分野へと手を伸ばし、勉強との両立が難しくなっていった。なんとか高校へ進学したが、その過密なスケジュールに加えて学校の前後に働いていたこともあり、単位が足らず10年生の時に留年することになってしまう。しかし彼は、留年するよりも就職する道を選び、靴屋で働くが、その後アメリカ軍へと入隊する。しかし、そこで知識と教育の必要性を実感した彼は、遠隔教育を通じて高校の卒業資格を手に入れる。そしてテンプル大学へスポーツ推薦で進学し、体育学を専攻するようになった。その後、コメディアンとしての道へ進む為に、一度大学を離れる。その後、すぐにステージに立ってトークライヴを行うようになり、次第に、その活動場所を地元フィラデルフィアからニューヨーク、ラス・ヴェガス、サンフランシスコへと広げるようになる。そして、少しずつ注目を浴びるようになった彼は、遂に1963年に、大手テレビネットワークNBCへの出演も果たした。当時はまだ人種差別が根強い地域もあったが、彼の「気楽にいこうぜ(easy-going)」精神を全面に押し出したウィットに富んだユーモアセンスは、見事に人種の壁を乗り越えた。当時彼はこんな名言も残している。「白人のリスナー達は、僕のショーを見て笑い、こんな事を思ってるだろう。""あぁ、俺もそう思ってたんだよ!""と。彼は白人で、僕は黒人だ。そして同じ考え方で物事をとらえていたと気がつく。それはつまり、僕たちは同じ人間だって事を意味してるはずなんだ。だから僕は、これから生まれてくる子供たちが良い人種関係を築けるように、今トークショーをやっているつもりだよ。」と。 その後1964年1月に、ワシントンDCでトークショーを行っている最中に出会った、メリーランド大学の学生Camille Hanksと結婚し、五人の子供を授かる。 長女エリカ(Erika 1965年生まれ。) 次女エリン(Erinn 1966年生まれ。) 三女エンサ(Ensa 1973年生まれ。) 四女エビン(Evin 1976年生まれ。) 長男エニス (Ennis 1969年生まれ。1997年に強盗犯ミカエル・マーキャセブ(Mikhail Markhasev)に銃で撃たれ死亡。)
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