誕生 - 事業開始まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 07:12 UTC 版)
相模国三浦郡秋谷村(後の神奈川県横須賀市秋谷)の豪農の家で、長女として生まれた。1867年(慶応3年)に、米の仲買商に奉公した。15年後、この仲買商から鈴木忠七(初代三郎助)が独立し、ナカは彼のもとに嫁いだ。三郎助は相模国葉山(後の神奈川県葉山町)に、米と酒の小売店「滝屋」を起業した。ナカも小売りを手伝いつつ、家庭では長男の泰助(二代目鈴木三郎助)、次男の忠治を含めて、二男二女に恵まれた。三郎助は新たな家業への情熱を込めて、自分の幼名の「忠」の字と「ナカ」の名にちなみ、商標に「㊥」の字を用いた。 しかし1875年(明治8年)に大流行した腸チフスで、夫の三郎助と次女が急逝した。ナカは29歳の若さにして未亡人となり、子供たちも、一番年上の泰助がまだ9歳であった。ナカは気丈な性格から「長男が一人立ちするまでは男となって働かなければならない」と考えた。夫の死に悲嘆しつつも、亡き夫の遺した「滝屋」を守り、商売を続けた。 遺された子供たちのために、父親役もこなした。泰助が小学校を卒業すると、藤沢の私塾である耕余塾を経て、商業実務を身に着けさせるために、浦賀の米穀商である加藤小兵衛商店に奉公させた。その間にも、ナカは女手一つで店を切り盛りした。4年後に泰助を実家に呼び戻し、二代目鈴木三郎助の名を継がせた。
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