子供たちのために
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 03:10 UTC 版)
ネルは、バーバラ・ヴィリアーズやルイーズ・ケルアイユに比べれば、物欲や地位に対するこだわりが少なかったが、全くこだわっていないわけではなかった。1676年のある日、長男チャールズ(Charles Beauclerk、1670年 - 1726年)を「おいで、私生児ちゃん!」と呼んだ。それを聞いたチャールズ2世は驚き、この年の12月にチャールズをバーフォード伯爵(Earl of Burford)(英語版) 及びヘディングタン男爵(Baron of Heddington)に、1671年12月25日に生まれた次男ジェームズ(James Beauclerk、1671年 - 1680年)をボークラーク卿(Lord Beauclerc)に叙した。ネルは伯爵の母という事で「レディ」の称号を与えられた。 彼女は1675年には、ロンドン、ニューマーケット、ウィンザーに邸宅を持っていた。収入は他の国王の寵姫の基準からすると低かったものの、十分多額の収入を得ていた。しかしネルは、自分が平民の女優出身であるため、他の寵姫たちと違って自分や息子たちに何の称号もない事を気に病んでいたのだった。特に子供たちに関しては、称号を得ればさまざまな保護や厚遇が与えられ、財政的にも潤うため、ネルにとって切実な問題だった。1679年、チャールズ2世はネルのためにウィンザーに家を与えた。バーフォード・ハウスはウィンザー宮殿(Home Park, Windsor)(英語版) の敷地内に建てられた。 1680年に、次男のジェームスが急死してしまった。ネルは、深く悲しんだ。さらに翌月には、ネルの友人ロチェスター伯爵ジョン・ウィルモットも死去した。その後、ネルは悲しみからなんとか立ち直り、バーフォード・ハウスを大きくするのに忙しい日々を送った。ネルは王を喜ばせるために、王立協会の特別会員を招待して滞在させ、ピープスも招待した。また、大勢の役者や女優をウィンザー宮殿に呼び、王のために朗読をさせた。チャールズ2世は1人で読書するよりこちらの方が好きだった。
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