誕生 - 大学中退
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1963年2月8日、東京都港区青山に生まれる。 会社社長を務めた父を持ち、かなり裕福な上流家庭の、家政婦付きの広い邸宅で生まれ育った。3歳からピアノとギター、5歳からバイオリンを習っており、それが矢代のミュージシャンへの志向を決定する一因となった。もっとも、ミュージシャンを志した際に、父の猛反対を受けて家を出たために、しばらく親との仲は疎遠になった。だが、ミュージシャンとしての成功を収めてからは和解し、父も彼のアルバムを愛聴するようになったという。 さまざまなトラブルに巻き込まれていることでも知られている矢代だが、そのトラブル体質は幼いころからのものであったらしい。修学院初等部に入学した6歳の時には変質者の若い男に誘拐され、殺されかけたものの無事に解放されるという事件に遭遇している。また、修学院中等部2年だった14歳の時には中年男によるストーカーの被害にあい、半年くらいつきまとわれたあげく、自宅の寝室にまで侵入されるという事件があった。高校1年生の時には、隣のクラスの女子が彼に熱烈に付きまとったあげくに、矢代宛ての遺書を残して自殺未遂をしたこともあったという。 矢代が初めてサックスを手にしたのは、その高校時代のことである。高校の学園祭などで他の生徒たちを熱狂させるなど、たちまち才能を発揮した彼は、その後、一流私大である西北大の文学部に入学。プロを入れても日本で五本の指に入るという名高いビッグバンド、モダンジャズ・ソサエティに入部し、1週間でサックスのレギュラーの座を獲得した。 だが、19歳の夏、誰もジャズになど興味のないところでこそジャズの真髄を究めることができる、という信念から、家を飛び出し、大学も休学して、錦糸町の場末のキャバレー『タヒチ』のバンドマンとなった。その界隈を当時仕切っていた暴力団・小桜組の代貸であった滝川修二との出会いや、ボーイやホステスなどとの交流の中に、さまざまな人々の悲しみと温もりを肌で感じた矢代は、人のありのままの生のありかたを知り、そのことをきっかけとして大きな音楽的な成長を果たすこととなった。だがその頃、激しさを増した小桜組と大政会との抗争に巻き込まれたこともあり、矢代は2ヶ月ほどで『タヒチ』を辞め、その界隈をあとにすることになった。(『キャバレー』)
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