誕生、上京
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1885年(明治18年)3月28日、茨城県久慈郡世矢村小目(現在の常陸太田市小目町)で貧しい農家の四人兄弟の長男として生まれる。父母の家ともかっては相当な資産家であったが、黒澤の代には零落しており、又、父の飲酒癖がもとで負債までつくり家計は常に苦しかった。そんな家を母は、巡業などもして苦労して支えた。母は「お前は大酒飲みにならないように」と息子を戒め、黒澤はそれを守り生涯禁酒を通した。 1895年(明治28年)に修学年限が4年制の世矢村尋常小学校を卒業後、磯野壇という老人が開く水戸学の影響の強い近くの漢学塾に1年ほど通い、後、近くの村の涯水義塾という漢学の塾に通う。 更なる勉学を積みたく、父母に東京行きを願い出て、父からは貧しさを理由に反対されたが、母に「どんな苦労や困難にも耐え抜く覚悟があるなら行ってよい」と送り出された。1899年(明治32年)6月に14歳で東京へ行き、神田中猿楽町の上野清が校長の東京数学院(後の私立東京高等学校)で給仕生として生活を始める。が、1年ほど後、東京数学院の教師をしていた松本小七郎の誘いで彼の書生となり、神田の正則英語学校(後の正則学園高等学校)に通うようになる。この頃のことについて黒澤は、"海軍兵学校に入るつもりで勉強しており、上京の翌年に入学試験も受けたが体格審査で落ちてしまった"、とのことを述べている。
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