誕生、キスマヨを巡る駆け引き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:47 UTC 版)
「ラスカンボニ軍」の記事における「誕生、キスマヨを巡る駆け引き」の解説
ハッサン・トゥルキーはソマリア南部のイスラーム武装勢力イスラム法廷会議の幹部の一人だった。トゥルキーは一軍を率い、2006年にソマリア南部の有力都市キスマヨを占領した。しかし間もなく隣国エチオピアの援助を受けたソマリア暫定連邦政府軍の攻撃を受け、2007年1月1日にキスマヨから撤退した。その後、イスラム法廷会議は弱体化し、いくつかの軍閥に分裂した。 トゥルキーは2007年、ソマリア南端の町ラス・カンボニで軍閥・ラスカンボニ旅団を設立した。2008年8月、ラスカンボニ旅団は、若手主体のイスラーム武装勢力アル・シャバブと共同で、ソマリア南部の有力都市キスマヨを占領した(2008年のキスマヨの戦い(英語版))。以後は拠点をキスマヨに置いた。 キスマヨの行政主導権は、主にアル・シャバブが握った。トゥルキーはそれに対抗するため、2009年1月、他の3つのイスラム法廷会議由来の軍閥と連合し、ヒズブル・イスラムを設立した。ただし、ヒズブル・イスラムは一まとまりの組織というより、4軍閥の軍事同盟に近く、その後もラスカンボニ旅団はトゥルキーの指導で独立して行動した。 アル・シャバブは当初こそ、キスマヨをラスカンボニ旅団・地元勢力との3者連携で運営していたが、次第に支配力を強化していった。そのため、2009年9月にはラスカンボニ旅団はキスマヨから撤退し、トゥルキーはアル・シャバブの対応に抗議の意思を示している。その後、ラスカンボニ旅団はアルシャバブに勝利してキスマヨの一部に拠点を取り戻し、その後はラスカンボニ旅団とアルシャバブの対立が続いた。
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