誕生~第一次アフリカ探検とは? わかりやすく解説

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誕生~第一次アフリカ探検

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 20:37 UTC 版)

デイヴィッド・リヴィングストン」の記事における「誕生~第一次アフリカ探検」の解説

リヴィングストンは、1813年スコットランドサウス・ラナークシャーにあるブランタイアBlantyre)で生まれた生家貧しく10歳の頃から近所紡績工場で働くことを余儀なくされるが、聖書ラテン語等の学問への意欲旺盛であった。彼は日中工場での仕事中に本を読む工夫をしつつ、仕事終わってからは夜間学校熱心に勉強をした。 この時期中国日本宣教行ったドイツ宣教師カール・ギュツラフ深く感銘を受け、宣教師になり、中国医療施しながら布教することを志すようになった1836年グラスゴー大学入学長期休暇の度にブランタイア戻って工場働きながら、医学神学を学ぶ。1838年にはロンドン宣教師協会入会し宣教師としての研修を受ける。1840年から始まった阿片戦争により、彼の中国行き頓挫してしまうが、同じくスコットランド人アフリカ大陸渡った宣教師ロバート・モファットと知り合い、話を聞きアフリカでの宣教魅了される宣教拠点アフリカへ変更したリヴィングストンは、南アフリカ支部宣教師として派遣されることとなった1840年12月8日蒸気船当時イギリス領であった南アフリカ出発ケープタウン到着移動しベチュアナランド(現ボツワナ)のクルマン居を構えるロンドン監督官からの指示を待つ間、布教拠点となる地方探しアフリカ内陸部北上し方々探検クルマンから北東方向200マイル地点にある、マボツァを第一拠点設定する。その直後夜間野生ライオン襲われリヴィングストン左腕重傷負い死後その傷は彼を識別する身体的な証拠となった1844年クルマンにてモファット合流したリヴィングストンは、同行していたモファット長女メアリー結婚するリヴィングストンモファット反対押し切りメアリーとともにマボツァへ移動した1846年まで2人はマボツァに滞在し布教医療続けるが、現地民族反発もあり、その後もしばしばより多く現地人布教できる場所を探すため、内陸部移動した。その過程で、カラハリ砂漠北上した一行は、1849年8月1日に、ヨーロッパ人初めヌガミ湖到達するその後探検続け1851年6月にはマコロロ王国経由してザンベジ川まで到達したが、子供一人熱病倒れたことから、これ以上家族とともに探検続けるのは危険だ判断し1852年4月家族ケープタウンからイングランドへ送り返したその後リヴィングストン再度衛生度の高い内陸高地布教拠点作ることを目指し、マコロロを再訪ザンベジ川辿り着くものの適切な土地が見つからず西へ向かった。これには、当時すでにヨーロッパで禁止され非合法となっているものの、アフリカではスルタンたちによって公然と続けられていた奴隷貿易による搾取廃絶するために、中央アフリカ交易ルート探索する意図もあった。1854年4月コンゴ川通過した一行は、5月31日に、南大西洋沿いの都市ルアンダ到着熱病飢餓赤痢苦しみ半死半生の状態であったリヴィングストンは、休息兼ねてルアンダから王立地理協会探検報告詳細に記述した手紙送りこの手紙がもとで1855年にはメダル授与されることとなった。この旅の途中再三ティップ・ティプなどの奴隷商人達から非常に親切な助け得たため、リビングストン本人苦悩した。 1854年9月一行ルアンダ出発しザンベジ川沿いへ元来ルート辿った1855年11月17日、その途上で、ヨーロッパ人として初めモシ・オ・トゥニャ滝 (Mosi-oa-Tunya) を目にし、その壮大な瀑布感銘受けたリヴィングストンは、当時イギリス女王ヴィクトリアにちなみ、ヴィクトリア滝名づけた。さらに東へ進み続けた一行は、ポルトガル植民地テテ経て1856年3月2日インド洋沿いに位置するモザンビーク都市キリマネに到達2年6ヶ月かけて、ヨーロッパ人として初めアフリカ大陸横断成功した

※この「誕生~第一次アフリカ探検」の解説は、「デイヴィッド・リヴィングストン」の解説の一部です。
「誕生~第一次アフリカ探検」を含む「デイヴィッド・リヴィングストン」の記事については、「デイヴィッド・リヴィングストン」の概要を参照ください。

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