設定や作中の事物について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:24 UTC 版)
「時をかける少女 (1983年の映画)」の記事における「設定や作中の事物について」の解説
原作、シナリオでは浅倉であった吾朗の姓が完成版では「堀川」となっているのは、竹原市に実在する醤油店(ほり川を参照)を吾朗の実家として撮影する際、美術が立派な看板を作るので、撮影後も看板を記念に残して使えるようにとの配慮から直前になって変更したためで、看板はその後も長い間醤油店の店先に掛けられていた。 物語のキーとなるラベンダーは、本作で広く知られるようになったといわれる。 「桃栗三年柿八年」の歌は監督の大林が作曲したオリジナルのもの。ちなみに「柚子は九年でなりさがる、梨のばかめが十八年」と続く。 2000年代以降に生まれた人たちには、原田が保健体育のシーンで履くブルマーの体操着が珍しく見えるかもしれない。 特筆すべきが原田に下駄を履かせたこと。当然下駄を履き慣れてはいないであろう原田は、このアンバランスな履物を履くことによって、演技者としての自由を奪われ、逆に少女の不安とためらいを体現した。素足で下駄を履くことのエロティシズムと、それを裏切る肉体と心のアンバランス。さらに火事騒ぎから帰宅する原田がタイル小路付近の石畳に反響する下駄の足音におののき、口を塞がれるレイプを予感させるシーンもある。本作の大ファンを公言する宇多丸は、深町一夫君は"未来から来た昏睡レイプ犯"説を唱えており、ラジオでゲストに呼んだ大林にこの自論をぶつけると、大林は「その通り」とあっさり認めた。"昭和の脱がせ屋"との異名を持つ大林にとって、先のブルマーと合わせ、原田を相手に苦心の跡が伺える。 本作で原田の着る制服はセーラー服ではなくブレザーである。松苗あけみは「吉永小百合が女学生スタアだった時代から、セーラー服はスクリーンの中で生き生きと自然に躍動し、薬師丸ひろ子の『ねらわれた学園』や『セーラー服と機関銃』では健気な戦闘服になり、富田靖子の『さびしんぼう』では青春のドレスになった。しかしこれほどアクの強いコスチュームを大林は原田にはとても着せられなかった。髪を小学生のように短くして、学校から帰ると木下駄を鳴らして尾道の石段を駆け上がる少女に"セーラー服"は重たすぎたのである。この映画で少女はやっと重たいセーラー服と長い髪を脱ぎ捨て、新しい美少女像に生まれ変われたのではないか。以来、"セーラー服"は映像の中の美少女の定番コスチュームとしてよりも『スケバン刑事』での戦う少女たちの戦闘服として珍重され、映像の中ですら、浮いた存在になってしまった。そのうちこの世で最後の"セーラー服"がどこかの撮影所の衣装部屋でひっそりと発見される日が来るかも知れない」などと論じていた。 本作のカレンダーは公開された1983年のものとなっている。またラストの場面が1994年に設定されたのは、この年の日付と曜日の対応が1983年とまったく同じであることが理由であった。芳山家のカレンダーの上に見える短冊は富岡鉄斎がデザインした「昇龍と火用慎」であり、現在でも鉄斎美術館で頒布されている。
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