計量研究所時代とは? わかりやすく解説

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計量研究所時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:55 UTC 版)

飯塚幸三」の記事における「計量研究所時代」の解説

1953年東京大学卒業し、後の計量研究所である通商産業省工業技術院中央計量検定所に就職(のちに茨城県新治郡桜村現在のつくば市移転するが、当時東京都板橋区にあった)。計量研究所では各種硬さ標準研究手掛けることになり、ショア硬さ研究従事ロックウェル硬さには矢野宏取り組んだ)。振り子型の試験機試作しハンマー圧子変形影響することなど、ショア硬さ諸条件実験的に解明したこの間1958年3月から1959年6月まで、政府在外研究員としてイギリス国立物理学研究所NPL)に滞在したまた、1967年7月開催第4回から国際計測連合英語版)(IMEKO)の総会参加するようになり、技術委員会でも代表委員務めるようになる。さらに同連合対す日本の加盟団体であった計測自動制御学会の「IMEKO委員会」でも委員長務めた今井秀孝とは微小球面曲率半径求め手法開発し1970年の英語論文は論文賞受賞(#光計測応用参照)。1972年には博士論文ショアかたさ目盛精度向上に関する研究』を提出し論文博士として東京大学工学博士学位取得。さらに形状誤差幾何公差)の研究にも取り組んでいき、後藤充夫とは真円度測定円筒形測定取り組み測定器誤差形状誤差分離することに成功した。(#マルチステップ法参照。) また、部下学生とともに物性計測研究にも従事超音波により応力測定する技術や、レーザー干渉計材料線膨張係数縦弾性係数計測する技術などを開発したこの間3年ほど研究企画官務め、さらに計量研究所力学部の部長3年ほど務める。一方で1980年から日本機械学会質量・力計測システム調査研究分科会主査務め同分科会で質量と力に関する計測法基礎応用をまとめた報告書1983年完成させている。 1983年計量研究所所長就任所長就任に伴い国際法計量委員会委員やISO/REMCO(標準物質委員会)の日本代表委員務める。1986年2月からは国際度量衡委員会委員務めることになり、以後15年委員務め名誉員含めると17年関与した

※この「計量研究所時代」の解説は、「飯塚幸三」の解説の一部です。
「計量研究所時代」を含む「飯塚幸三」の記事については、「飯塚幸三」の概要を参照ください。

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