計量研究所時代
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1953年に東京大学を卒業し、後の計量研究所である通商産業省工業技術院中央計量検定所に就職(のちに茨城県新治郡桜村、現在のつくば市に移転するが、当時は東京都板橋区にあった)。計量研究所では各種硬さ標準の研究を手掛けることになり、ショア硬さの研究に従事(ロックウェル硬さには矢野宏が取り組んだ)。振り子型の試験機を試作し、ハンマーや圧子の変形が影響することなど、ショア硬さの諸条件を実験的に解明した。 この間、1958年3月から1959年6月まで、政府在外研究員としてイギリス国立物理学研究所(NPL)に滞在した。また、1967年7月開催の第4回から国際計測連合(英語版)(IMEKO)の総会に参加するようになり、技術委員会でも代表委員を務めるようになる。さらに同連合に対する日本の加盟団体であった計測自動制御学会の「IMEKO委員会」でも委員長を務めた。 今井秀孝とは微小球面の曲率半径を求める手法を開発し、1970年の英語論文は論文賞も受賞(#光計測応用も参照)。1972年には博士論文『ショアかたさ目盛の精度向上に関する研究』を提出し、論文博士として東京大学で工学博士の学位を取得。さらに形状誤差(幾何公差)の研究にも取り組んでいき、後藤充夫とは真円度測定や円筒形状測定に取り組み、測定器誤差と形状誤差を分離することに成功した。(#マルチステップ法も参照。) また、部下や学生とともに物性計測の研究にも従事。超音波により応力を測定する技術や、レーザー干渉計で材料の線膨張係数や縦弾性係数を計測する技術などを開発した。この間3年ほど研究企画官も務め、さらに計量研究所力学部の部長を3年ほど務める。一方で1980年から日本機械学会の質量・力計測システム調査研究分科会で主査を務め、同分科会で質量と力に関する計測法の基礎と応用をまとめた報告書を1983年に完成させている。 1983年、計量研究所の所長に就任。所長就任に伴い、国際法定計量委員会委員やISO/REMCO(標準物質委員会)の日本代表委員も務める。1986年2月からは国際度量衡委員会の委員を務めることになり、以後15年間委員を務め、名誉員も含めると17年間関与した。
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