親小沢・反小泉
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田中が政治的マキャベリストとしてしばしば賞賛する小沢一郎、鳩山由紀夫とは比較的近い距離にあり、民主党が野党であった2003年11月には閣僚予定者名簿(当時の民主党「次の内閣」の閣僚名簿とは異なる)で無任所大臣(地方主権担当)に指名された。一方で松下政経塾出身者、特に前原誠司に対しては「机上の空論」 や「議員となるのが自己目的化している」「頭でっかち」 と批判している。松下政経塾出身者以外にも菅直人や仙谷由人、岡田克也などへの批判をしばしば行っている。 2009年に民主党が政権を獲った後は田中が代表を務める新党日本は与党として取り扱われている。ただしその形態は鳩山内閣時には民主党と統一会派を組んでいたのに対して、菅内閣になってからは亀井静香が代表を務める国民新党と統一会派を組んでいる。小沢や鳩山と必ずしも意見が一致しておらず、民主党の2009年マニフェストの結果として成立した農業者戸別所得補償制度や子供手当て法、事業仕分けなどにも批判を加えたり、内閣の状況を「スポットライト症候群(個々の閣僚の意見が拡散していく状況)に陥っている」「お子ちゃま内閣」などと評したりもしている。 さらに民主党の支持基盤である労働組合、特に日本労働組合総連合会(連合)や全日本自治団体労働組合(自治労)に対しては「組織率の低くなった組合は労働者の声を反映していない」と批判的立場を取っており「発展的に解消すべき」「労働貴族の集まり」との意見を持っている。連合は2000年と2002年の長野県知事選では田中を支援したものの、2006年の知事選、2009年の衆院選ではいずれも対立候補の支援に回った[要出典]。 小沢に対しても、1990年代前中期(小沢が自民党幹事長、離党して新生党、さらに新進党に所属していた時期)はある程度政策や政治姿勢は評価しつつも、やや批判寄りだった(後述)。この時期にはむしろ(小沢とは対立関係にあったとされる)梶山静六を高く評価していた(同項目も参照)。 自由民主党については左右幅広い立場の議員が所属し実態がつかみづらいことから「鵺のような存在」としている。ただし民主党が政権を取った後は当初は閣内でさまざまな意見が出ていても、最終的には意見が収斂していく「大人の政治」を行っていたと自由民主党時代の政治を再評価もしている。また水制度改革議員連盟の共同代表を務める中川秀直など、自由民主党所属議員の中にも親しい人物はいる。 小泉純一郎と竹中平蔵の打ち出したアメリカ的な経済政策を導入する新自由主義経済路線を弱肉強食だと強く批判し、ある程度の経済格差は認めつつも最下層の幸せを確保する最小不幸社会を主張している。小泉の路線と自らの改革とは、車座集会とタウンミーティングその他や就任当時の高支持率など類似性が多いと『サンデープロジェクト』など政治番組で問われた場面もあったが、その際には小泉路線はまやかしであると答えた。その後も小泉路線を「なんちゃって小泉・竹中へなちょこ構造改革」と表現している。なお@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}小泉については第2次橋本内閣の厚生大臣だった当時から批判していた。[要出典]
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