規格争いと終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 08:11 UTC 版)
「デジタルコンパクトカセット」の記事における「規格争いと終焉」の解説
1992年9月、第1号機であるパナソニックRS-DC10(標準価格135,000円・税別)とフィリップスDCC900(標準価格115,000円・税別)が発売された。いずれも比較的大型の据置型カセットデッキである。 1992年11月、ソニー(現・ソニーグループ)がMDレコーダーの第1号機MZ-1(標準価格79,800円・税別)を発売。こちらは重量520gのポータブル型である。また、すでに登場から5年が経過していたDATは値下がりが進んでおり、1991年5月発売のパイオニア(ホームAV機器事業部。後のパイオニアホームエレクトロニクス→オンキヨー&パイオニア→オンキヨーホームエンターテイメント) D-50の標準価格は85,000円(税別)、1992年10月発売のソニー DTC-59ESの標準価格は95,000円(税別)だった。 このように、すでに発売当初から価格・大きさの両面で明らかに競争力が不足していた。MDがディスク形式ならではの使い勝手をアピールしたのに対し、DCCは以下の理由から、MDはおろか同じテープメディアのDATにも劣っており、最後まで一般に普及することはなかった。 テープ形式の制約を引きずっており、使い勝手やメディアの携帯性はMDはおろか、DATにも大きく劣っていた。高速なランダムアクセスが出来ず、終端の曲まで一分以上のアクセス時間が掛かる場合もあり、同じ分数のメディアで比較すればDATよりも更にアクセス時間が長かった。早送り・巻き戻し時に音を出しながらサーチ出来ないため、曲間を探すのが面倒だった。 売りだった従来のコンパクトカセットとの互換性が足かせとなる場合もあった。コンパクトカセットはDCCデッキで録音ができなかったほか、多用するとコンパクトカセットから剥がれ落ちた微細な磁性体(特にγ-ヘマタイト系酸化鉄を磁性体に用いた1970年代以前のノーマルポジション用のSTD級、またはLN級カセットテープが顕著)やヘッドの磨耗により、すぐにDCCカセットでの録音や再生に埃や傷などの付着による物理的なエラー(ドロップアウト)が生じる問題が出ていた。 DCC専用ブランクメディアの低価格化が思いのほか進展しなかった。発売当初はMDはともかく、DATよりも安かったが、その後DATとMDはそれぞれ普及による増産とDATとMDの各種ブランクメディアの低価格化が進んだ事に対し、DCCテープは早い段階で縮小・撤退したため量産化が進まず価格が終始高止まりしており、相対的にDAT用のブランクメディアよりも割高感が強かった(DCC専用ブランクメディアの最大記録時間は90分、一方のDAT専用ブランクメディアの最大記録時間は標準モード時で最大180分)。 先述の通り全てのDCC録再機・再生専用機にはヘッドに半導体用製造技術を応用したMR素子ヘッドが使用されているため、ヘッドの表面が汚れている場合、湿式のヘッドクリーニングキットやヘッド・ディマグネタイザ(ヘッド消磁器)を使用することができず、事実上、乾式タイプのカセット型ヘッドクリーナーしか使用できなかった。仮に誤ってDCC録再機・再生専用機のMR素子ヘッドを静電気を帯びた指先で触れる以外に、湿式ヘッドクリーニングキットで清掃したりヘッド・ディマグネタイザを使用して薄膜ヘッドを消磁すると最悪の場合、ヘッド内部の素子が破壊されて自己録音・自己再生が完全にできなくなる。 発売当初に据え置き機しか用意できず、ポータブル機の割合もDATより遥かに少なかった。特に録再ポータブル機は発売が大幅に遅れ(市場投入まで概ね2年以上かかった)、録再ポータブル機からスタートしたMDに対しゼネラルオーディオ市場で大きく遅れをとった。 結果的に1996年末までに全ての参入メーカーがハードウェア機器の生産を終え、翌年の1997年には開発元の一つであった松下電器産業( → パナソニック)や日本マランツも最終的にMDに参入した。
※この「規格争いと終焉」の解説は、「デジタルコンパクトカセット」の解説の一部です。
「規格争いと終焉」を含む「デジタルコンパクトカセット」の記事については、「デジタルコンパクトカセット」の概要を参照ください。
- 規格争いと終焉のページへのリンク