薩摩国伊作庄日置北郷下地中分絵図とは? わかりやすく解説

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薩摩国伊作庄日置北郷下地中分絵図

主名称: 薩摩国伊作庄日置北郷下地中分絵図
指定番号 162
枝番 00
指定年月日 1997.06.30(平成9.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 1幅
時代区分 鎌倉
年代 1324
検索年代
解説文:  本絵図は、元亨四年(一三二四)八月近衛家薩摩国日置北郷現在の鹿児島県日置郡日吉町)の相論において、領家一乗院雑掌である左衛門尉憲俊と、地頭大隅左京進久代沙弥道慶との間に、和与成立したときに作成されたもので、下地中分絵図代表的な遺品として知られている。その和与内容島津家文書中の元亨四年八月廿一日薩摩伊作庄并日置北郷領家地頭和与状に明らかである。それによれば、この和与伊作庄・日置北郷および日置新御領の田畠山野または荒野河海下地双方中分し、各領内検断および所務それぞれ一円進止するというものであったが、日置北郷場合は、川や道路利用した複雑な線をもとに折半が行われたことから、その境界線明示するために絵図作成されたと考えられる
 図は楮紙継ぎ合わせて料紙とし、東の薩摩半島骨格形成する山地を上にして、中央吉利名の屋敷・薗を中心とする台地比較大きく描き北側大川流域西側下方)には海(東シナ海)を描いている。庄内描かれ在家は「領家政所」をはじめとする一二宇で、薗、田、畠は、田に薄墨色を施すなどして描きわけ、シラス台地谷底水田利用されている様子伝えている。図中、をもって東西に境を立て下地中分線を表し道路、山の稜線および、屋敷や稲には黄土色河川や海には薄藍色にて彩色施しているが、とくに山々樹木や海の描き方大和絵筆法伝えており、本図専門絵師の手になることを示している。
 図中、下地中分線は和与内容とまった一致し、西の帆湊の海上から東に向かって、ハシロ経て河を登り、苦田より南の仮野崎達し、さらに千手堂の前を回って東に進み胡桃野(久留美野)大世多和からまっすぐに七曲伊集院堺)に至る。中分線の両端には線を挟んで領家方」と「地頭方」の墨書があり、南側北側それぞれに朱點者、両方之堺注也、/但此繪圖者、堺一段也、自/余両方不及委細也、」と記し下地中分の境であることを明記している。さらに絵図裏面には、中央やや上部に「伊作庄内日置北郷繪圖」と墨書があり、中分線の両端に、それぞれ雑掌地頭代署名して花押据え途中中分線が折曲する箇所には雑掌左衛門尉憲俊花押据えられている。
 本図では、複雑な下地中分境線正確に通すために、とくに吉利名を中心とする地域大きく描かれている。下地中分により「領家政所」が地頭方編入されるなど、吉利名が半分分断されているが、全体としては、地勢などのうえから領家地頭にとってほぼ同等土地折半されたものと思われる
 このような下地中分絵図遺例としては他に伯耆国東郷庄のものなどが知られているが、本絵図は、作成の目的折半様子具体的にわかるなど、当時下地中分実態考えるうえに重要であり、中世史研究上に価値が高い。
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