花房義質
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花房 義質(はなぶさ よしもと、1842年2月10日(天保13年1月1日) - 1917年(大正6年)7月9日)は、明治、大正期の外交官。岡山藩士で実業家、初代岡山市長・花房端連の長男。爵位は子爵。歴任した主な官公職は枢密顧問官、日本赤十字社社長など。
- ^ “壬午鶏林事変 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年8月13日閲覧。p60 1932 宮武外骨
- ^ 『官報』第3880号、明治29年6月6日。
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)22頁
- ^ 『官報』第47号「叙任」1883年8月24日。
- ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
- ^ 『官報』第5021号「叙任及辞令」1900年3月31日。
- ^ 「参事院議官補西園寺公望外八名叙勲」 アジア歴史資料センター Ref.A15110025800
- ^ 「弁理公使花房義質勲二等ニ進叙年金下賜」 アジア歴史資料センター Ref.A15110025400
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
- ^ 『官報』第2251号「叙任及辞令」1890年12月27日。
- ^ 『官報』第4651号「叙任及辞令」1899年1月4日。
- ^ 『官報』第7273号「授爵・叙任及辞令」1907年9月25日。
- ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第7333号「叙任及辞令」1907年12月6日。
- ^ a b 花房義質『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
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