芝浜の描写
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『芝浜』を演じた噺家は多いが、「芝浜の三木助」と謳われた3代目桂三木助が1950年代に演じたバージョンは特に高名である。 この演出には、落語評論家として知られ3代目桂三木助と親しかった作家の安藤鶴夫がブレーンとして携わったと言われている。読売新聞連載記事「名作聞書」には3代目桂三木助の「芝浜」が注釈つきで収録されている。 3代目桂三木助の「芝浜」の魅力は二つある。ひとつは絵画のように情景を写し出す描写力である。三木助は「落語とは何か」と問われて、「落語とは絵だ」と答えている。つまり「演者が丁寧に描写する絵(映像)を、聴き手に鮮明に見せる事こそが重要だ」と主張したのである。 彼の理論に従えば、魚屋が市場にやってきた場面に於いて、夜が明けて朝日に照らされた真白い浜、静かに揺れる穏やかな波、周囲に建物も何も無い美しい芝浜を聴き手に見せる事ができるか否か、が本作の真髄であり醍醐味と言うことになる。『芝浜』と言う題名ながら、実際に芝浜が描かれるのはこの場面だけであり、非常に重要な見せ場と言えよう。これは極めて高レベルの実力が噺家にも聴き手にも要求される。 3代目桂三木助は、暉峻康隆の助言により、冒頭に「明ぼのや しら魚しろきこと一寸(いっすん)」という句を挟むという独自演出をした。松尾芭蕉の句である。しかも、芭蕉の名を出さず「翁の句に」といったのである。 これらの風景描写は前述のようにファンには喜ばれたが、古典落語の範囲を逸脱している事から、落語業界内でも賛否がある。 5代目古今亭志ん生や3代目古今亭志ん朝は、芝浜の描写をせず、慌てて戻ってきた魚屋が財布を拾ってきたことを女房に語り聞かせる構成にしている。中でも志ん生は、三木助の芝浜について「芝の浜のくだりが長すぎて、あれじゃとても夢と思えねぇ」とも言ったという。 三木助に対しては概ね好意的である7代目立川談志も「三木助さんの芝浜は好き嫌いでいえば嫌でした。安藤鶴夫みたいなヤツのことを聞いて、変に文学的にしようとしている嫌らしさがある」「芭蕉と言わずに翁の句という」と批評している(いずれもバンブームック1 立川談志「芝浜」より)。 五街道雲助は三木助の芝浜について、「『たかが噺にそこまで』と云う反論もありましたし、私も文芸的にと云うのは好きではないのですが、この噺だけはそうした味つけがあってもよかろうと云う考えです。つまり、そうしたい気にさせる何かが有る噺なんですね。誰しもがそう思うようで、この噺ほど演る人によって持っていき方や工夫の違う噺もありません。それだけに演者の噺に対する姿勢や感覚を試されて、恐い噺なのかも知れません」と記している。 物語は、実力がありながら仕事に身を入れず、酒で一旦身を持ち崩した男が、一念発起し仕事に身を入れて見事に立ち直る、というストーリーとなっている。これは3代目桂三木助の実像とオーバーラップする。三木助個人に対して思い入れがあればあるほど、本作で感動することになる(もっとも3代目桂三木助の場合は酒でなく博打であるが)。 3代目三木助はこの演目で、1954年(昭和29年)の文部省芸術祭奨励賞を受賞した。 なお、3代目桂三木助の実演はCD(レコード)の形で複数販売されているが、残されている音源は1954年にNHKラジオで放送された一本のみである。また「録音に残っているものは短縮型の不充分な口演で、(録音を前提としない)実演は数段上であったように思う」という評がある(京須偕充『芝居と寄席と』)。本作・芝浜は長時間を要する話だが、ラジオ番組には時間の制約がある。3代目桂三木助はNHKの専属落語家だった。[要出典]残されている録音の多くはラジオ放送用の収録を基にした物だった。
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