舞台と諸勢力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:23 UTC 版)
アイスランド トルフィンの故郷。ノルウェー王ハラルドの支配を嫌った人々が、自由を求めて移住してきた土地。過酷な環境のため農耕による自活が難しく、漁業と牧畜中心の生活を続けている。島民同士の諍いは民会(シング)で調停する。その地理的条件から、戦乱の続くヨーロッパより比較的平和が保たれている。 フェロー諸島 アイスランドとノルウェーの中間に位置する島々。アイスランド、グリーンランドと本土の人と物をつなぐ中継地点、補給地点として機能している。 イングランド王国 アングロ・サクソン人の統一王国。9世紀にウェセックス王アルフレッドがそれまでの諸王国を併合してのちは南部のウェセックス地方が王国の中核をなす。首都はウィンチェスター。北部のデーンローを支配するデーン人とは微妙な小康状態を保ってきたが、11世紀初頭のイングランド軍によるデーン人虐殺を機に関係が悪化、その後デーン軍相手に敗北を重ねる。1018年、賢人会議でアングロ・サクソンの王に代わりデンマーク王が推戴され、実質的にデンマーク王国に併合される。 デーンロー ブリテン島北部のデーン人が実効支配している土地の総称。中心地はヨーク。1013年の時点では北部のノーサンブリア、東部のイースト・アングリア、中部のゲインズバラを中心とする五城市地方などを支配下に収めていた。デンマーク王国軍 デンマーク王スヴェン率いるイングランド征服軍。1013年の時点では総勢約20,000人。一時トルケル率いる500人の部隊が離反するも、クヌートの帰還とともに再び合流する。王の死後クヌートが軍を引き継ぎ、イングランド征服を完了させる。人数は不明だがイングランド征服後も駐屯軍としてイングランドに留まっており、その駐留費用はクヌートを悩ませている。 ウェールズ小王国群 イングランド西部に隣接する諸王国。元来はブリテン島全体を支配する民族だったが、5世紀以降、統一国家を樹立する前にアングロ・サクソン人の侵攻を受け西部の山岳地方に追いやられた。現在は多数の王国に分かれており、個々の王国の力はイングランド王国やデーンローに及ばないが、イングランド人とデーン人の争いには中立の立場を守っている。辺境に追いやられたものの、ローマ属州時代の伝統を守っている。モルガンクーグ王国など一部の国にはアシェラッドの素性を知る者がおり、彼と個人的な協力関係を持っている。 デンマーク王国 クヌートの故郷。デーン人の王都イェリング、アシェラッド兵団の帰宿港の一つである領主ゴルムの村、ヨーム戦士団の本拠地ヨムスボルグ、大農場主ケティルの所有地などがある。ヨーム戦士団 ヨムスボルグに基地を持つ、北海最強を自負するエリート戦士団。現・首領はフローキ。かつてトルフィンの父トールズやトルケルが在籍していた。 北海横断編で大隊長の一人であるヴァグンがフローキと対立し、トールズの敵討ちを大義名分に反乱を起こす。フローキはトルケルに討伐依頼を出すが、戦う直前に配下のガルムが勝手にヴァグンを殺したことで獲物を奪われたと激怒するトルケルと対立。戦いの末にヨムスボルグが陥落し、フローキと彼の孫のバルドルは捕らわれ、トルフィンが団長に祭り上げられそうになるが、トルフィンによってヨーム戦士団の解散が宣言される。 アシェラッド兵団 アシェラッド率いる職業的バイキング集団。平時には海賊行為、傭兵稼業を行うが有事にはデンマーク軍の一部隊としても行動する。兵力100、軍船3艘。スヴェン王のイングランド征服に参加するが、途中でトルケルの軍勢と対戦し数名を残して全滅する。
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