自由民主党に入党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:07 UTC 版)
1997年7月、新進党を離党し、同年12月に自由民主党に入党。2000年の第42回衆議院議員総選挙では自民党公認で東京13区から出馬し、民主党の城島光力らを破り3選(城島も比例復活)。2002年、厚生労働副大臣に就任。2003年の第43回衆議院議員総選挙では前回下した城島に敗れるも、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、4選。 2005年の第44回衆議院議員総選挙では、前回敗れた城島に比例復活を許さず、東京13区で5選。2007年8月、安倍改造内閣で環境大臣に就任し、初入閣。入閣後間もなく資産等報告書の記載の不備が発覚した。安倍晋三首相が内閣改造からわずか1ヶ月余で辞意を表明した。当時は事務所費架空計上問題が騒がれ、安倍内閣の農林水産大臣だった松岡利勝が自殺する事態にまで発展しており、新内閣で鴨下が再任されるかが一部で注目されたが[要出典]、福田康夫内閣で環境大臣に再任された。 2008年の福田康夫改造内閣では、大臣経験者ながら再び厚生労働副大臣(年金担当)に就任。しかし福田康夫首相も内閣改造から1ヶ月余で辞任し、福田の辞任を受けて行われた2008年自由民主党総裁選挙では、石破茂の推薦人代表を務めた。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党新人の平山泰朗に東京13区で敗れたが、比例東京ブロックで復活し、6選。翌2010年、山本有二が立ち上げた政策グループのぞみに参加。2011年、「日本の復興と再生を実現する議員連盟」の設立を呼びかけ、同議連の世話人に就任。同議連には民主、自民、公明の各党から計162名の国会議員が参加した。 2012年自由民主党総裁選挙では、石破茂の推薦人代表を務める。2012年9月、安倍晋三執行部において幹事長代理に就任。同年12月、自民党国会対策委員長に就任。2013年10月11日、体調不良のため自民党国会対策委員長を辞任した。2014年2月17日、新設された幹事長特別補佐に就任。 2017年9月27日、東京都議選惨敗の責任を取り辞任した下村博文会長の後任として自民党東京都連の会長に就任。 同年9月28日、衆議院解散。10月3日、希望の党は第48回衆議院議員総選挙の第1次公認192人を発表するが、小池百合子代表と同じ日本新党出身の鴨下は小池と近い存在であったため、東京13区には候補者を立てなかった。10月6日、立憲民主党は第1次公認62人を発表。東京13区に元総合商社社員の北條智彦を擁立したことが明らかとなった。10月22日に行われた総選挙で北條と共産党新人を破り、9選。 2021年8月4日、同年秋までに予定される第49回衆議院議員総選挙に立候補せず引退する意向を表明した。 2022年春の叙勲で旭日大綬章を受章。
※この「自由民主党に入党」の解説は、「鴨下一郎」の解説の一部です。
「自由民主党に入党」を含む「鴨下一郎」の記事については、「鴨下一郎」の概要を参照ください。
自由民主党に入党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 01:17 UTC 版)
2019年9月25日、立憲民主党・国民民主党・社会保障を立て直す国民会議の統一会派に参加しない意向を示し、野党再編の動きから距離を置いた。 同年12月には新政信州を離脱する意向を示し、同月10日、自由民主党に入党する意向を表明した。党県連副幹事長で、上田市選出の平野成基県議は「思い切ったことをした。自民党入りは歓迎」と強調。自民党関係者からも相次いで歓迎の声が上がった。地元の佐久市の柳田清二市長も12月11日付のTwitterで、井出の表明を評価した。12月15日、自由民主党長野県連は井出が長野3区支部長へ就任することを全会一致で了承した。12月18日、井出は自由民主党本部にて二階俊博幹事長と面会し、入党届を提出し、同21日に正式に入党が承認された。同23日、麻生派に入会。 2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙に自民党公認で立候補し、立憲民主党の神津健を破り4選(神津は比例復活で当選)。初めて自民党の公認候補が長野3区で当選した。
※この「自由民主党に入党」の解説は、「井出庸生」の解説の一部です。
「自由民主党に入党」を含む「井出庸生」の記事については、「井出庸生」の概要を参照ください。
- 自由民主党に入党のページへのリンク