自由民主党へ再復党、死去
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「鳩山邦夫」の記事における「自由民主党へ再復党、死去」の解説
2011年(平成23年)末、自民党に復党届を提出するが、党内の反発で先送りされる。 2012年(平成24年)12月16日の第46回衆議院議員総選挙には無所属で出馬し、自民党の推薦を受けて12選した。翌日、安倍晋三総裁宛ての復党願を同党福岡県連に提出。その後、党紀委員会にて復党が了承され、11日後の12月28日に2年ぶりに復党した。2014年(平成26年)12月14日の第47回衆議院議員総選挙には自民党公認で出馬し、13選。 2016年(平成28年)6月21日、十二指腸潰瘍のため、都内の病院にて67歳で死去した。死去する三週間ほど前の6月1日、衆議院本会議に出席した時に非常に痩せ細った姿が見られた。余りの変貌ぶりから健康不安が囁かれたが、この時はあくまで否定していた。 日本国政府は没後、正三位に叙するとともに、旭日大綬章を追贈した。墓所は護国寺で、三条実美墓の右横にある。
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