自然科学・博物学的著作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 07:08 UTC 版)
人によっては「動物文学」の語は、動物を客観的・自然科学的な観察のもとに扱いつつも、その描写や表現において文学性を保持する著作群に限定して用いられている。本来は動植物学や博物学などの分野の記録であったものが文学の領域にまで達しているようなものであったり、あるいは自然を題材としたエッセイであったりするもので、対象に対して客観的でありつつも作者の人間観や人生観をうかがわせ、また詩心や情感に溢れているものが含まれる。例えばアイザック・ウォルトンの『釣魚大全』(1653)、ビュフォンの『博物誌』 (1749-1788)、ギルバート・ホワイトの『セルボーンの博物誌』(1789)、チャールズ・ダーウィンの『ビーグル号航海記』(1839)、アンリ・ファーブル『昆虫記』 (1879-1907)、ウィリアム・ハドソン『ラ・プラタの博物学者』 (1892) といったものである。後述するような寓話・教訓話などにおいては、動物がたとえ話の材料・手段として用いられるのに対し、こうした著作では動物を正面から取り上げ、動物それ自体を目的として書かれている。そういった意味では精密な自然科学的観察に基づいて動物物語を書いたアーネスト・シートンの『私が知っている野生動物』 (1898)、ロマン派の農民詩人ジョン・クレア(英語版)の動物詩などもこれに属するものと言える。このほかジュール・ルナールの『博物誌』(1896) も、動物の細密な描写などは一切行わないが、各種の動物の本質をいわば一筆書きのようにして捉えた独特の動物文学として挙げられる。 このように客観的な立場で対象を記述する態度は、動物を扱う上で常識的・常套的なものと思われがちであるが、実際には感情を極力交えずに書かれた自然詩などと同様、科学の発達と歩調を合わせて現われた近代の所産である。日本においては大正時代から昭和の初期にかけて、柳田國男の「野鳥雑記」や「孤猿随筆」、早川孝太郎の『猪・鹿・狸』(1926)などの動物文学が書かれている。狩猟・牧畜が生活の中心であったために伝統的に動物との関わりが深かった西洋に対し、農耕が生活の中心であった日本においては動物文学は比較的発達を遂げなかったが、近代においてまず現われたのはこうした民俗学的な視点からの著作であった。以後日本でも動物に対する科学的な観察や記録の傾向が芽生えていき、1934年には雑誌『野鳥』『動物文学』が創刊され、こうした中から野鳥賛美を主題にした中西悟堂、動物の飼育記録を題材にした平岩米吉の著作などが生まれていった。
※この「自然科学・博物学的著作」の解説は、「動物文学」の解説の一部です。
「自然科学・博物学的著作」を含む「動物文学」の記事については、「動物文学」の概要を参照ください。
- 自然科学・博物学的著作のページへのリンク