能力と性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 01:48 UTC 版)
「ラインハルト・フォン・ローエングラム」の記事における「能力と性格」の解説
軍人としては「戦争の天才」「常勝の英雄」として帝国軍将兵の畏敬と忠誠を一身に集める。ただし、その常勝の英雄も、唯一ヤン・ウェンリーにだけは勝利し得ないままだった。何よりも自らが陣頭指揮に当たって勝利を手にすることにこだわり、戦略的により優位な方法を取ることが可能な場合でも、敢えて敵との正面決戦を選ぶ傾向にある。そのため、卓抜した戦略眼を有していたにもかかわらず、用兵家としての本質は戦術家であったとも言われている。この点をヤンに利用され、危機に陥ることもあった。ただし自ら陣頭に立つのは、部下を死地に追いやる立場としての自らの使命感に基づくものでもあり、一概に非難に値するものではない。ラインハルトが自ら陣頭に立った事により、付き従う多くの兵の士気を鼓舞し、忠誠心が誓われた。 ゴールデンバウム王朝時に於けるラインハルトの軍人としての異例な昇進の速さは、姉・アンネローゼが皇帝の寵妃となった事の影響が極めて大きい。ただし、皇帝がラインハルトの昇進を直接指示したりアンネローゼが要望した事例は無い(外伝1巻第2章の記述より)。皇帝の寵妃の弟であるラインハルトは、上官にとっては、その身に危害が及び、万が一にも戦死させれば自身の立場が危うくなる厄介事の種であり、ラインハルトが手柄を立てる都度それを言い立てて栄転を働きかけ、厄介払いしたのが真相であった。また、ラインハルトは同僚や部下としては極めて付き合いづらく扱いにくい性格であり、その才能と行動力の旺盛さと容赦のなさは「走るトラブル」と酷評されたことさえある(後述)ほどで、ある意味遠ざけたくなるのも当然であった。特殊な立場による異常な昇進ではあったが、その地位に相応しい武勲を立て続けた事に相違なく、ロイエンタールやミッターマイヤーなどの後の部下は、初めてラインハルトの姿を見た時(ヴァンフリート星域会戦直後)に、それを見抜いた事を示す発言を口にしている。ただしローエングラム伯の叙爵については、皇帝の指示によるものである。 基本的には堂々たる勝負を好むが、オーベルシュタインの登用にも見られるごとく、政略や謀略の有効性も熟知しており、時と場合によっては非情な決断を下す冷徹さも備えている。時には守るべき民衆さえも戦略や政略のために利用し犠牲にすることさえあり、本人も後ろめたさを感じつつも割り切らざるを得ず、キルヒアイスと口論を起こしたり、後年になって利用された側の遺族が憎悪からラインハルトの暗殺を謀る事件まで発生した。 政治家としても才と力量に優れ、ゴールデンバウム王朝の悪しき制度を一新し、公平な税制と公平な裁判を旨として、帝国人民の支持を集めた。特にリップシュタット戦役を経て帝国の実権を握った直後から大掛かりな司法/行政改革に着手し、農民金庫の新設や言論の自由(不敬罪を除く)の保障などを実行、さらに貴族の中でも開明派のブラッケやリヒター、皇帝即位後には実力派技術官僚(テクノクラート)のシルヴァーベルヒ等を登用して改革を促進している。こうした政策からラインハルトは民衆の圧倒的支持を集め、ヤンもラインハルトを最も理想的な専制君主と評した。 欠点は、行動的かつ外向的な性格ゆえに、自己の内面を見つめることが少なく、結果としてヤン・ウェンリーのような学究的思考が皆無に近いこと。それに加え、自身が天才であるがゆえに、凡人の心理を理解することが出来ず、彼らの心情に配慮することも出来なかった。そのため、自分から敵を増やすような側面があった。また、民主政治の欠点について冷徹な客観性によって指摘する分析能力がありながら、民衆がなぜルドルフ・フォン・ゴールデンバウムやヨブ・トリューニヒトに権力を与えたのかを、ついに終生理解し得なかった。彼が民主主義を支持せず、むしろ終始民主政治に批判的であったのは、それが主因だと考えられる。
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