考古学的記録
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スカンディナヴィアの考古学者はおよそ40の女性の墓から杖が発見しているが、さまざまな副葬品を伴うぜいたくな墓で見つかっているため、ヴォルヴァが社会において最も高い地位に属していたことを示している。 一例はデンマークのフュアカト(英語版)にある墓だが、この地域で発見された中でもっとも贅沢な墓であることがわかった。彼女は車輪は取り外された荷車の中に葬られていた。彼女は明らかにロングドレスだけをまとっていた。つま先にはトウリングをつけていたが、これは彼女が靴を履いていなかったか、サンダル履きで葬られたことを示唆している。頭にはゴトランド式のバックルがあり、これは箱として使われたものかもしれない。そして、彼女の持ち物にはフィンランドやロシアの品物もあった。彼女の足元にはフクロウのペリットや鳥や動物の骨などの魔法の道具が入った箱があり、袋の中にはヒヨスの種が入っていた。この種を火の中に投じると、飛んでいるかのように錯覚する幻覚を引き起こす煙が発生する。墓には切り株から作られた椅子を模した銀の小さなお守りもあった。そのような小さな銀の椅子が墓から見つかった場合、それは常に女性の持ち物である。そしてそれは、ヴォルヴァが儀式を行った高座や、オーディンが世界の向こうを見晴らしたフリズスキャールヴのようなものを表しているのかもしれない。 もうひとつの注目に値する墓は、2人の女性が豪華な墓に埋葬されたことが明らかになったノルウェーのオーセベリ船であった。女性の1人は高い地位にある貴婦人で、木の杖と共に葬られていたことからセイズの施術に通じていたと考えられる。この墓からは遺体にあてがうための枕と思われるものの中から大麻の種が4粒見つかっている。更に大麻の種は小さな皮の袋の中からも発見されている。 9世紀ごろ、あるヴォルヴァはエステルイェートランド地方の Hagebyhöga で非常に豪華な副葬品と共に埋葬された。杖と共に葬られたことに加え、馬や荷車、そしてアラビア地方の青銅の水挿しを含む豪奢な品々を与えられた。また、広幅のネックレスをかけた女性を象った銀のペンダントもあった。この種のネックレスは、鉄器時代の間もっとも有力な女性たちだけが身につけたものであり、フレイヤのネックレスブリーシンガメンであると解釈する研究者もいる。このペンダントはおそらく全てのヴォルヴァ中でもっとも卓越するフレイヤ自身を現したものであろう。 ビルカでは、あるヴォルヴァは戦士と共に葬られた。彼らの上には、死んだ2人をオーディンに捧げるために槍が置かれていた 。彼らはおそらく2柱の戦いの神、フレイヤとオーディンに仕えていたと考えられていて、戦士が槍を携えていたように、ヴォルヴァも杖を持っていた。
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考古学的記録
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「グアンチェ族のミイラ」の記事における「考古学的記録」の解説
グアンチェ族支配時代を通じて継続的にミイラ作成が行われていたのは、カナリア諸島の中でもテネリフェ島のみであった。グラン・カナリア島で発見された古代人のミイラについては、近年調査が進められた結果、死体を意図的にミイラ化し保存しようとした形跡は認められず、気候条件などにより自然発生的にミイラ化した可能性が高いとされた。ラ・パルマ島のミイラも同様に自然発生的なものであり、ラ・ゴメラ島とエル・イエロ島についてはミイラが存在したかどうか自体が立証できていない。また、ランサローテ島とフエルテベントゥラ島は調査の対象となっていない。 特に保存状態が良く、体系的な調査研究がなされているものは、テネリフェ島で発見されたミイラ群である。 1933年、テネリフェ島南部・サン・ミゲル・デ・アボーナ(英語版)のUchovaでグアンチェ族のネクロポリスが発見された。ここには墓地遺構自体の破壊を免れ得た60-74体のミイラが存在していると推定される。 グアンチェ族のミイラの身体的特徴に関する調査では、彼等が非常に長身だったことが判っている。平均身長は男性が170cm、女性は157cmである。また、多くがたくましい体つきをしていた。 カナリア諸島に現存する最古のミイラは、テネリフェ島で発見された紀元後3世紀のものである。
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