石器技術・研究史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:25 UTC 版)
アテル文化の技術的特徴は、ほぼ1世紀にわたって議論されてきたが 、最近まで定義が曖昧であった。この産業の定義の問題は、その研究史と、アテル文化と同時代に存在した他の北アフリカの石器群(エミレ文化など、50,000BP頃には併存していた)との間に多くの類似性が観察されることに関連している。ルヴァロワ技法は中石器時代を通じて北アフリカ全域に広がっており、スクレイパーやデンティキュレート(歯状突起?)は各地に点在する。また、両面にわたる葉形石器は分類学上大きな部分を占めており、その形態や寸法は極めて多様である。また、道具(ナイフ、スクレイパー、尖頭器など)の種類や、道具の研ぎ直しの度合いによって、様々な形状のヴァリエーションも見られる。 より最近では、アテル文化期の集落を含む北アフリカの石器群の大規模な調査が行われ、北アフリカ中石器時代における従来の石器群の概念に問題があることが示された。北アフリカ中石器時代の石器群のうち、先端の尖った石器をもつものをアテリアン(Aterian)と呼んでいるが、このアテリアンという概念は、同じ時期の北アフリカの非アテリアン石器群との類似点を曖昧にしている。例えば、両面葉形の尖頭器は北アフリカ全域に広く分布し、ルヴァロワ型の剥片や石核はほぼどこにでも見られる。この比較研究から、最終間氷期の北アフリカは、個別の産業ではなく、関連技術のネットワークから構成されており、その類似点と相違点は、地理的距離とグリーン・サハラ(Green Sahara)の古気候学に相関していることが示唆された。そのため、刃に中子のある一連の石器は、そのような道具を使用する特定の活動を反映している可能性があり、必ずしも北アフリカの同時期に隆盛した他の考古学文化と本質的に異なるものを反映しているとは限らない。 この発見は、現在の考古学的命名法が、最終間氷期から中石器時代にかけての北アフリカの考古学的記録の真の多種性を反映していないこと、そして初期の現代人がそれまで居住するのに適していなかった環境にどのように分散していったかということを示唆するものとして重要である。にもかかわらず、この用語は、北アフリカ中期の石器時代における中子付き道具の存在を示すのに有用である。 北アフリカにおける中子のついた石器は約2万年前まで残っており、最も年代の新しい遺跡は北西アフリカに所在する。この頃、北アフリカでは氷河期(Quaternary glaciation)が始まり、結果として同地に過乾燥状態を起こしため、他の地域ではアテル文化の石器群はとっくに消滅していた。したがって、「アテリアン」石器を含む石器群は、時間的・空間的に大きな広がりをもっている。一連の文化が興ったのは、北アフリカのナイル川流域までと考えられているものの、オマーンやタール砂漠の中期旧石器時代の堆積物からも同様の石器が発見された可能性がある。
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