石器時代と石斧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 14:05 UTC 版)
手斧のような初期の石器は恐らく柄が付いていなかったと思われる。最初の本当の柄付き斧は中石器時代(紀元前6000年頃)に始まることが知られているが、一部の地方では枝角で作られていた斧が新石器時代でも利用され続けた。燧石で作られた切る道具は柄が付けられ「ちょうな」として使われた。磨製石器の石斧は新石器時代以降に現れることが知られている。それらは木を切り倒し加工するために使用された。木製の柄はほとんど見つかっていないが、斧は通常くさびを使って柄に取り付けられたようである。刃を固定するには樺のタールや生革の紐が用いられた。新石器時代の後期(ミシェルスベルク文化、Cortaillod文化)では長方形の非常に小さな刃が一般的になった。それらは柄に取り付けられるとき枝角のスリーブが付けられた。これは柄が割れることを防ぎ、同時に石の刃自体への衝撃を和らげた。 新石器時代の初期には打製石器だった斧の刃は、次第に磨製石器になっていった。新石器時代の晩期までには製材(木製の鋸や砂)は一般的になった。これにより、生の素材のより効率的な使用が可能になった。スカンジナビア、北部ドイツ、およびポーランドでは燧石の打製石器、磨製石器の刃を持つ斧が一般的だった。 石の斧は実に効率的な道具である。これを使用すると、直径10センチメートルのトネリコ硬材を切り倒すのに約10分かかる。直径30センチメートルならば1 - 2時間であった(現代の比較:3.5キログラムの競技用伐採斧を用いた場合、25センチメートルのストローブマツ軟材が2分未満)。 新石器時代の晩期以降(Pfyn-Altheim文化)平らな斧が銅あるいはヒ素を混ぜた銅で作られていた。青銅の斧は初期の青銅器時代(A2)以降見つかる。平斧はパルスターブ、フランジ付き斧、さらにその後、翼付き斧、ソケット付き斧へと進化していく。 紀元前3千年紀(?)、ヨーロッパのいわゆる戦斧民族は初期のインド・ヨーロッパ語族、後のケルト人とドイツ人の先祖に当たると考えられている。また、斧は中国の武器類で重要な役割を占めた。 「斧」を意味するプロトインドヨーロッパ語の単語はpelek'u(ギリシア語:pelekus、サンスクリット:parashu)だったと思われる。しかし、この単語は恐らく究極的にはシュメール語balag、アッカド語pilakuと関係する借用語、あるいは新石器時代のwanderwortだったかもしれない(ラブリュス、en:Parashuramaも参照のこと)。 何千もの磨製石斧が粗仕上げされていた新石器時代後期の「斧工場」はイギリス(例えばカンブリアのGreat Langdale)、アイルランド(Lambay島、Porphyry、Rathlin島およびTievebulliagh、porcellanite)、ポーランド(Krzemionki、フリント)、フランス(Plancher-les-Mines、ボージュ山地、pelite、Plussulien、ブリタニー、meta-dolerite)およびイタリア(Val de'Aoste、omphacite)が知られている。石斧の分布は有史以前の貿易を示す重要なサインである。磨製石斧の刃の起源を決定するためにはその薄片を使う。 石斧は今日なおイリアンジャヤ(ニューギニア)の一部で作られ使用されている。ハーゲン山地域は主要な生産の中心地だった。
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