総力戦体制構築の推進とは? わかりやすく解説

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総力戦体制構築の推進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:44 UTC 版)

永田鉄山」の記事における「総力戦体制構築の推進」の解説

かねてからの「国家総動員に関する意見」などが認められ1926年大正15年)に国家総動員機関設置準備委員会幹事となり、内閣資源局陸軍省動員課と統制課の設置導き初代動員課長となる。 1928年昭和3年)には動員課長辞任し後任東条英機となった麻布歩兵第3連隊長を務めた後、1930年昭和5年)に南次郎陸軍大臣の下で陸軍省軍事課長となる。 1932年昭和7年)に陸軍少将昇進1933年昭和8年6月陸軍幕僚会議開催され会議大勢は「攻勢はとらぬが、軍を挙げて対ソ準備にあたる」というにあったが、参謀本部第二部長の永田一人反対し、「ソ連に当たるには支那協同しなくてはならぬ。それには一度支那叩いて日本のいうことを何でもきくようにしなければならない。また対ソ準備戦争はしない建前のもとに兵を訓練しろ」と言った。これに対し荒木貞夫陸軍大臣は「支那を叩くといってもこれは決し武力片づくものではない。しかも支那戦争すれば英米黙っていないし必ず世界を敵とする大変な戦争になる」と反駁した。 対支戦争考えていた永田は、対ソ戦準備論の小畑敏四郎激しく対立し、これが皇道派統制派争いであった1934年昭和9年)に陸軍省軍務局長となった同年8月国府津池田純久田中清、その他数名腹心集めて会議開き永田従来指導していた経済国策研究会通じ昭和神聖会働きかけ上奏請願導き国家改造伴って戒厳令布き皇族内閣組織するという計画練ったエーリヒ・ルーデンドルフ政治支配総力戦計画心酔し同年10月陸軍主張政治・経済分野浸透させ、完全な国防国家建設提唱する国防の本義と其強化の提唱』という陸軍パンフレット出版した社会民衆党亀井貫一郎は、「永田在世中、議会政党、軍、政府の間で、合法あるいは非合法による近衛文麿擁立運動について覚書作成され、軍内の味方反対クーデター考えていた。だから右翼右翼クーデター考えてもよい。どっちのクーデター来て近衛押し出そうと、ここまで考えていたということ永田殺され原因のひとつ」と語った。 すなわち永田東条英機富永恭次武藤章下山琢磨陸大閥(一夕会)の一部が、亀井麻生久らを通じて近衛担いで革新内閣実現し革新官僚連絡をとって革新政策実現しようとし、反対クーデター手段として計画され統制派反対クーデターは『政治的常事勃発ニ処スル対策要綱』という具体案にまでなっていた。またそのために軍内反対派の皇道派追放し部内秩序を乱す青年将校弾圧しようとした永田らは機密費使って真崎甚三郎悪玉説を流布し岡田啓介総理大臣真崎を軍から追放することを内閣の最高方針としたという。

※この「総力戦体制構築の推進」の解説は、「永田鉄山」の解説の一部です。
「総力戦体制構築の推進」を含む「永田鉄山」の記事については、「永田鉄山」の概要を参照ください。

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