経歴・記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/07/02 12:53 UTC 版)
1956年に中学校を卒業して、馬事公苑にて長期騎手講習生となり、1957年9月に田之上勲厩舎より騎手デビューした。 翌1958年には、第2回阪神競馬では17勝を挙げて1開催での最多勝利記録となったが、1977年に同じく17勝を挙げた福永洋一と並び、1981年に増沢末夫に破られるまで記録として残った。 しかし、不祥事を起こして1959年の1年間に渡り騎乗停止処分を受け、1960年からは武輔彦厩舎に転厩して騎乗を再開。さらに1961年からは関東に移動し、松永光雄厩舎の所属となり、その後元石正雄厩舎を経由して土田順三厩舎に移動した。 1963年には、自民党の代議士で、当時馬主であった田中彰治の娘と結婚している。 その後も関東で中堅騎手として騎乗を続けていたが、1972年12月14日に交通事故に遭って死去した。通算210勝。
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経歴・記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/03/24 04:43 UTC 版)
札幌競馬場所属の調教師であった矢倉玉男の長男として生まれ、1950年に中学校を卒業して稗田敏男厩舎に入門。その後小西喜蔵厩舎に移籍して1953年に騎手免許を取得した。 その後、1956年に京都競馬場所属の上田武司厩舎に移籍したが、翌年には小西厩舎に戻り、1958年には稗田厩舎へ、さらに翌年には松永光雄厩舎を経て、父親の厩舎に移籍した。 1957年にはラプソデーで菊花賞を勝ったが、このとき矢倉は馬上で「勝った!勝った!」と叫んだという。 1959年10月25日の第5回東京競馬2日目第3競走で、先に落馬した馬に触れて落馬転倒し、頭部外傷などの怪我を負って入院した。しかし退院後も後遺症が残り、引き続き治療を続けたものの、1962年1月8日に頭部外傷後遺症により死去した。26歳没。
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経歴・記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 00:15 UTC 版)
1948年東原玉造調教師に弟子入りしたが、その後稗田虎伊厩舎などを転々とし、1955年に矢野幸夫厩舎所属としてデビューした。3月5日の東京競馬場での初騎乗レースでヒシタカに乗って勝利した。 矢野は、戦後初の外国人騎手(ロバート・アイアノッティ)を所属させるなどアイデアマンとして知られており、有力馬を多数抱える当時の有力厩舎であり、恵まれた環境の中で腕を磨いていった。そしてデビュー3年目の1957年には、桜花賞でヒシチヨに騎乗し、ミスオンワードの2着に入る成績を挙げる。さらにこの年デビューしたヒシマサルの主戦騎手として騎乗すると、札幌記念・毎日王冠・セントライト記念・安田記念、日本経済賞の重賞5勝を挙げる活躍を見せた。 ヒシマサルやヒシチヨ、初勝利を挙げたヒシタカの馬主である阿部雅信(阿部雅一郎の父)は、小野の技術に信頼を寄せ、矢野厩舎の所属馬だけでなく、ほかの厩舎の自分の馬にも率先して乗せるなど、自らの所有馬の主戦騎手として重用する様になった。 その後、矢野幸厩舎から独立してフリー騎手となった。ただ、当時はまだ厩舎所属の騎手を優先して騎乗させる時代であったため、乗り鞍の数も減り、有力馬に騎乗する機会も少なくなっていく中、阿部は引き続き自分の持ち馬の主戦騎手として騎乗させ続けた。小野も稗田敏男厩舎が管理するヒシマサル産駒のヒシマサヒデに騎乗しての親子2代安田記念制覇をはじめ、オールカマーや京王杯スプリングハンデキャップの勝利や、ヒシヤクシンで七夕賞や日本経済賞に勝利するなど、その期待に応えた。 1969年に入り、ヒシマサヒデは引退したが、引き続きヒシヤクシンとのコンビで重賞競走に出走し、7月27日に新潟競馬場で行われた関屋記念では3着に入る健闘を見せた。 翌週は中京競馬場で騎乗したが、8月3日の中京第4レース(砂1700m)でヒシツルギサンに騎乗、4コーナーで先に故障転倒した馬に躓く形で落馬。頭部を強打して昏睡状態に陥り、直ちに病院に搬送され手当てを受けたものの、回復せずに2日後に死去した。最終成績は2342戦344勝。最後に騎乗した馬はデビュー戦で騎乗したヒシタカと同じ馬主で、主戦騎手として騎乗させ続けていた阿部雅信の持ち馬でもあった。
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