経歴・軍歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 02:14 UTC 版)
ガビ・アシュケナージは、第四次中東戦争時、将校学校の生徒だった。1972年から1988年にかけて、彼は軍のエリート部隊である「ゴラニ」旅団に所属し、後に北部軍管区を指揮した。2000年、当時のエフード・バラック首相はレバノン南部のいわゆる「安全保障地帯」から部隊を撤収させたが、彼自身はこのことに反対していた。軍人としては、第四次中東戦争、エンテベ空港奇襲作戦、レバノン戦争などに従軍した。 2002年、参謀次長。2005年、参謀総長選定を巡ってダン・ハルツに敗れた後、少将の階級で退役。これまで、国防省の総局長だった。 2007年2月5日、ハルツがレバノン侵攻の際の不手際と株式の売却を追及されその地位を追われると、イスラエル政府は、ガビ・アシュケナージをイスラエル国防軍参謀総長として承認した。国防相アミル・ペレツは、軍人事が社会的議論に巻き込まれることを避けるために、参謀総長の任期を現行の3年から4年に延長すると表明した。また、南部レバノンからの撤退を巡り見解の相違があったバラックとは2008年-2009年のガザ攻撃で共に指揮を執っている。2011年2月、土地取引疑惑を巡り後任の参謀総長人事は難航していたものの、ベニー・ガンツ副参謀総長が最終的に昇格した。ガンツの参謀総長就任は当初有力視されていたものの、ガンツはアシュケナージと同じく北部管区司令官を務めた経緯から、バランスをとる意味で、南部管区司令官を務めたヨアフ・ガラント副参謀総長がその後浮上。しかしながらガラントに土地取引疑惑が浮上し最終的にガンツの昇格が実現した。
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