経歴・運用とは? わかりやすく解説

経歴・運用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 07:42 UTC 版)

国鉄5600形蒸気機関車」の記事における「経歴・運用」の解説

冒頭述べたように、本形式1899年に6両(製造番号4038 - 4043)、1902年12両(製造番号4479 - 4490)の計18両が輸入され日本鉄道では形式は5500形と同じPbt2/4形、番号213 - 230付番された。 1906年明治39年)に、日本鉄道国有化されたのにともない官設鉄道籍となり、1909年明治42年)に制定され鉄道院車両形式称号規程では、5600形(5600 - 5617)に改番された。その後煙室延長したほか、動輪タイヤ強化したため、動輪径は1,397mmとなっている。 当時東部鉄道局に所属し仙台鉄道局が分離した後は両局に所属し東北系統使用されたと思われる1927年昭和2年)から1929年昭和4年)にかけて廃車となったが、7両(5608, 5616, 5613, 5615, 5612, ほか番号不明の2両)が王子製紙傍系樺太鉄道譲渡され40 - 46となり、5605は陸軍鉄道連隊移った樺太鉄道では、1927年11月開業した落合・知取間で、混合列車牽引用いられたが、1937年昭和12年)の時点42, 45廃車40, 44, 46が知取、41, 43敷香入換専用となっていた。その後1941年昭和16年)に樺太鉄道樺太庁買収され樺太庁鉄道樺太東線となり、1943年昭和18年4月樺太庁鉄道鉄道省併合された際に、41, 43, 44が再び国有鉄道籍となり、5625形(5625 - 5627)となったが、1945年昭和20年)の太平洋戦争終戦時ソビエト連邦接収されその後消息不明である。 樺太鉄道(→樺太庁鉄道40形鉄道省5625形の新旧番号対照を以下に再掲する。 鉄道省5608 → 樺太鉄道40樺太庁鉄道40廃車 鉄道省5616 → 樺太鉄道41樺太庁鉄道41鉄道省5625 → ソ連接収(1946/03/31 除籍鉄道省番号不明樺太鉄道42廃車 鉄道省5613 → 樺太鉄道43樺太庁鉄道43鉄道省5626 → ソ連接収(1946/03/31 除籍鉄道省5615 → 樺太鉄道44樺太庁鉄道44鉄道省5627 → ソ連接収(1946/03/31 除籍鉄道省番号不明樺太鉄道45廃車 鉄道省5612 → 樺太鉄道46樺太庁鉄道46廃車 鉄道連隊移った5605は、1945年事故廃車された3(初代B1形)の代車として、終戦後東武鉄道入線入籍1952年)し、B7形(3(2代))に改番された。同車は、1957年昭和32年)まで使用され廃車解体された。

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