経歴・運用
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「国鉄5600形蒸気機関車」の記事における「経歴・運用」の解説
冒頭で述べたように、本形式は1899年に6両(製造番号4038 - 4043)、1902年に12両(製造番号4479 - 4490)の計18両が輸入され、日本鉄道では形式は5500形と同じPbt2/4形、番号は213 - 230と付番された。 1906年(明治39年)に、日本鉄道が国有化されたのにともない官設鉄道籍となり、1909年(明治42年)に制定された鉄道院の車両形式称号規程では、5600形(5600 - 5617)に改番された。その後、煙室を延長したほか、動輪のタイヤを強化したため、動輪径は1,397mmとなっている。 当時は東部鉄道局に所属し、仙台鉄道局が分離した後は両局に所属し、東北線系統で使用されたと思われる。1927年(昭和2年)から1929年(昭和4年)にかけて廃車となったが、7両(5608, 5616, 5613, 5615, 5612, ほか番号不明の2両)が王子製紙の傍系の樺太鉄道に譲渡されて40 - 46となり、5605は陸軍の鉄道連隊に移った。 樺太鉄道では、1927年11月に開業した落合・知取間で、混合列車の牽引に用いられたが、1937年(昭和12年)の時点で42, 45が廃車、40, 44, 46が知取、41, 43は敷香で入換専用となっていた。その後、1941年(昭和16年)に樺太鉄道が樺太庁に買収され樺太庁鉄道の樺太東線となり、1943年(昭和18年)4月に樺太庁鉄道が鉄道省に併合された際に、41, 43, 44が再び国有鉄道籍となり、5625形(5625 - 5627)となったが、1945年(昭和20年)の太平洋戦争終戦時にソビエト連邦に接収され、その後の消息は不明である。 樺太鉄道(→樺太庁鉄道)40形→鉄道省5625形の新旧番号対照を以下に再掲する。 鉄道省5608 → 樺太鉄道40 → 樺太庁鉄道40 → 廃車 鉄道省5616 → 樺太鉄道41 → 樺太庁鉄道41 → 鉄道省5625 → ソ連接収(1946/03/31 除籍) 鉄道省番号不明 → 樺太鉄道42 → 廃車 鉄道省5613 → 樺太鉄道43 → 樺太庁鉄道43 → 鉄道省5626 → ソ連接収(1946/03/31 除籍) 鉄道省5615 → 樺太鉄道44 → 樺太庁鉄道44 → 鉄道省5627 → ソ連接収(1946/03/31 除籍) 鉄道省番号不明 → 樺太鉄道45 → 廃車 鉄道省5612 → 樺太鉄道46 → 樺太庁鉄道46 → 廃車 鉄道連隊に移った5605は、1945年に事故廃車された3(初代。B1形)の代車として、終戦後に東武鉄道に入線(入籍は1952年)し、B7形(3(2代))に改番された。同車は、1957年(昭和32年)まで使用され、廃車解体された。
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