第3軍の進撃遅延
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12月23日には天候が回復し、高気圧により5日間は好天が継続する見通しとなったため、第9空軍(英語版)司令官ホイト・ヴァンデンバーグ中将は航空隊に全力出撃を命じた。12月16日のドイツ軍侵攻以降ずっと悪天候が続き、連合軍はまともな航空支援を行うことができず、ドイツ軍の快進撃を許すことになったので、ブラッドレーは「ドイツ軍と天候が共同謀議している」などと恨み言を言っていたが、この後連合軍の圧倒的な航空攻撃によって、ドイツ軍は大損害を被ることになった。包囲されているバストーニュへも合計260機の輸送機が144トンの物資を空輸して空中から投下した。第101空挺師団はこれまでの激戦で弾薬が不足しており、マコーリフは1日の発砲数に制限を設けていたが、補給物資の大半は弾薬であり、早速前線に届けられて久しぶりの大量発射が行われた。補給された弾薬のなかには近接信管付きの砲弾も含まれており、のちの防衛戦の大きな戦力にもなっている。食料については、市街の倉庫に大量の小麦粉が貯蔵されてあったので、とりあえず飢える心配はなかったが、毎食のようにその小麦粉で焼いたホットケーキが支給されたため、食べ飽きて見るのもいやになった兵士も多かった。 第3軍は12月22日に北進を開始したが、そのなかで第4機甲師団にバストーニュ救出が命じられた。パットンは第4機甲師団に「とにかく突っ走れ」と命じたが、進撃する道路は皮肉にもアメリカ軍の第8軍団がドイツ軍進撃阻止のために入念に破壊していたため、予想外に進撃は捗らなかった。苛立つパットンは徹夜での進軍を命じ、第4機甲師団A戦闘部隊とB戦闘部隊は19㎞進撃してバストーニュまで14㎞の位置に到達した。しかしドイツ軍第5降下猟兵師団が第4機甲師団の前進を阻止すべく、その進路上に戦線を集約して待ち構えており、ココットも手持ちの自走砲を増援に送って強力な防衛線を構築していた。そして12月23日の日中にA戦闘部隊がワールナハ(フランス語版)、B戦闘部隊がショーモンでドイツ軍と交戦したが、ドイツ軍の降下猟兵は投降することはなく戦って、最後は手榴弾で自爆するなど徹底して抗戦したため、第4機甲師団は苦戦した。それでもA戦闘部隊は5輌の戦車を失い68人の死傷者を出しながらも、その数倍の降下猟兵を殺傷してワールナハを攻略したが、B戦闘部隊は増援の自走砲で11輌の戦車を撃破され、65名の死傷者を被って撃退されるなど進撃の停止を余儀なくされた。 12月24日には第3軍苦戦の報はバストーニュにも届いていた。パットンはマコーリフに「クリスマスプレゼントを配達中」と12月25日までの救出を約束していたが、その約束が困難な見通しとなってきたのでバストーニュの全将兵は失望した。マコーリフはミドルトンに電話をすると「当師団が望むクリスマスプレゼントはただ一つ、明日の救出です。明日には間違いないのでしょうか?」と問い詰め、ミドルトンは「パットンは明日には到着すると確約している。本職も必ず明日バストーニュを訪れる」と約束したが、全将兵がその約束で力づけられることはなかった。第101師団の将兵たちは市民からドイツ軍がクリスマスに総攻撃を計画しているという情報を聞いており、明日が最期になるという恐怖が蔓延していた。バストーニュ周辺の拠点に対するドイツ軍の攻撃も激化していた。第227グライダー連隊第2大隊とオハラ隊が守るマルビーには、ティーガーⅠとパンターで編成された戦車隊が攻撃しており守備隊は窮地に陥っていたため、マコリーフは少なくなった予備兵力から、ロンヴィリーで大打撃を受けたチェリー隊の生き残りと第501空挺連隊の一部を急派しどうにか主陣地を確保するなど、これまでで最も危機的状況になっていた。そこでマコーリフはドイツ軍の総攻撃に備えて、防衛線を全長26㎞に集約して防備を固めることとした。
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