第10週 - 第14週(2016年4月 - 10月)
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「おかえりモネ」の記事における「第10週 - 第14週(2016年4月 - 10月)」の解説
2016年4月、東京に着いた百音はシェアハウス「汐見湯」に落ち着くと、面接を受ける予定の気象情報会社「ウェザーエキスパーツ」(以下「WE社」と記す)の下見に出かける。この時野坂と再会した百音は、一時的な人手不足に陥っていたWE社で社員の代役に駆り出され、Jテレ(JAPAN UNITED TELEVISION)の番組で気象コーナー制作の裏舞台を目の当たりにする。幼馴染の後藤三生、早坂悠人がいる仙台で局地的な強風の恐れがあることを知るものの、全国放送の番組では広範囲に影響を及ぼす事象の方が優先される現実を見て、百音は朝岡に「気象予報士として、自分の大切な人たちを守りたい」という思いを吐露する。朝岡からはその思いを大切にするように言われるが、汐見湯で隣の部屋に住むことになった幼馴染の野村明日美からは「モネは私たちのことを心配しすぎ」と指摘される。 百音は番組での貢献が評価されてWE社に採用が決まり、同僚の神野マリアンナ莉子が出演する屋外気象中継の担当となる。4か月後、局地的な豪雨でアンダーパスが冠水する事故が発生したことから水難事故の注意喚起ばかり繰り返すようになり、「子供が海を怖がる様になった」と視聴者の苦情が寄せられる。汐見湯のコインランドリーで思い悩んでいたところ、菅波と再会し、そのアドバイスで肩の力を抜いて取り組めるようになる。 その後、台風8号が東北地方を直撃することを知った百音は、統計上前例がなく過去の経験が役に立たないことを危惧し、具体的な対策を実家に伝え、朝岡の気象解説にも同様の内容を盛り込んでもらう。後日、父や祖父から感謝され喜ぶが、神野には「人の役に立ちたいと思うのは、結局自分のため」と言われる。その直後、車いすマラソン選手・鮫島祐希を気象面からサポートすることになり、菅波もドクターとして加わる。サポートが功を奏し、鮫島は9月の選考レースで強化指定選手に選ばれるが、その中で鮫島の期待に応えようとする思いが先走って衝突した経験から、菅波にかつて言われた「『あなたのおかげ』という言葉は麻薬」の真意を訊ねる。新人時代、ホルン奏者・宮田彰悟の肺がんを発見したことを感謝され、半年後の演奏会に出演したいという希望に応えようとするあまり、判断ミスで演奏家生命を奪った菅波の後悔を聞いた百音は、うなだれる彼の背中を優しく手でさする。 10月に入り、東北地方のある町で土石流が発生したとの報道で朝岡の表情が一変する。8年前の豪雨の際、家の中の安全な場所で過ごすよう呼びかけたものの、大規模な土砂災害で集落ごと飲み込まれたことに衝撃を受けていた。さらにその後、同じ場所で災害が頻発するようになり、そうした地に住み続けることの意味について思い悩む。一方、牡蠣の品評会の受賞のため上京した龍己と耕治が汐見湯に突然現れ、百音と菅波が親しくしていることを知る。翌日、耕治はWE社で朝岡と出会い、朝岡が吐露した悩みに対して、土地に住み続ける人はそこに宿る人々の思いも受け継ごうとしているように見えることや、娘たちには土地に縛られずに明るい未来へ向かってほしいという思いを語る。耕治の話から、それぞれの土地で大切なものを守る人々に気象情報を伝えることで幸せや喜びを届けることができる信念を朝岡と確認しあった百音は、神野の後任として打診されていた中継キャスターを引き受けることを決める。
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