第二次ハイブリッジの戦い、ファームビルの戦い、カンバーランド教会の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:37 UTC 版)
「アポマトックス駅の戦い」の記事における「第二次ハイブリッジの戦い、ファームビルの戦い、カンバーランド教会の戦い」の解説
4月7日の日中、オード少将はライス駅に移動し、ロングストリート中将の塹壕に入った部隊とライス駅の戦いと呼ばれる小さな戦闘を行ったオード軍の損失は66名だった。暗闇が近づいたときに攻撃中止を宣言したが、このとき南軍の全軍が眼前にいるのではないかと疑り、援軍を待つべきだと考えた。ロングストリートの軍団とフィッツヒュー・リー少将の騎兵隊がその夜の間にファームビルに向かって移動した。オードが夜の間に南軍がライス駅を放棄したことを知ると、ファームビルに向かって追跡した。シェリダンもファームビルにクルックの師団を派遣した。 南軍ロングストリート軍団ウィリアム・マホーン少将の師団が夜になった頃にセイラーズクリークの近くに陣取っており、そこでの戦闘の落伍兵の後退を援護していた。4月7日朝、ハンフリーズの第2軍団が、セイラーズクリークの戦場を後にして、マホーンの師団を含め逃亡する南軍が荷車用橋を破壊する前にハイブリッジに到着するように移動した。ハンフリーズ配下の師団が、ファームビルへ向かう別の道で、マホーンとゴードンの部隊を追跡した。フランシス・C・バーロー准将の師団がゴードンの輜重隊の一部を遮断し、多くの荷車を破壊したが、トマス・A・スミス准将が致命傷を負い、そのために部隊が怯んで、北軍の攻撃を一時的に止めさせた。ウィリアム・A・オルムステッド大佐の旅団がスミス旅団支援のために移動したが、スミス部隊が指揮官を失ったために動きを躊躇している間に、南軍が孤立した集団を攻撃したときに、スミス隊の部隊兵約100名が捕まった。 ロングストリート軍団はファームビルで食料を受け取った後、アポマトックス川を北に渡った。このときリー将軍が命令していたようにファームビルの橋を破壊したが、南軍の騎兵と歩兵の旅団は渡河のために浅瀬を探すことになった。食料は十分に配布されなかったが、南軍の列車は捕獲や破壊を免れるためにパンプリン駅に向けて移動し、残った物資は翌日パンプリンを通ったクルックの騎兵隊に破壊された。クルックの騎兵師団と第6軍団がファームビルを占領し、ロングストリートの残した兵士を捕まえた。川の水かさが高く、渡る手段が無かったために、クルックの騎兵師団はその日の午後に近くの浅瀬で川を渡った唯一の北軍部隊となった。 4月7日午後、マホーンとゴードンの部隊がカンバーランド教会の高台で塹壕に入り、間もなくそれに南軍の残り部隊も加わった。ハンフリーズの第2軍団が南軍の前線に接近したときに砲撃を受けながら、攻撃を始めてカンバーランド教会の戦いとなった。ハンフリーズは北軍の他の歩兵部隊がファームビルでアポマトックス川を渡れず、援軍になってくれないことを認識しておらず、近くで砲声を耳にしたときは、それが別の北軍部隊による南軍前線に対する攻撃と思い、2度目の攻撃を行ったが、成果は出なかった。ハンフリーズが聞いた戦闘の音は、カンバーランド教会の戦いの一部ではなく、ファームビルの戦いと呼ばれる戦闘のものであり、クルックの騎兵師団と南軍の西に向かう輜重隊を護衛する騎兵隊が衝突したものだった。南軍の騎兵隊が北軍の前衛部隊を急襲し、74名の損失を出させた。その中にはJ・アービン・グレッグ准将を始め多くの捕虜になった者がいた。南軍が北軍を追い返して川を越えて戻らせたか、これとほぼ同じときにシェリダンがクルックをファームビルに呼び戻したか、いずれにしてもシェリダンがクルックにその師団をファームビルの西10ないし12マイル (10 - 19 km) のプロスペクト駅に移動させるよう指示した。クルック師団は真夜中頃にプロスペクト駅に到着した。 バーローの師団はやっと日没頃にカンバーランド教会の戦いの戦場に到着した。夜が近づき、援軍が来なかったハンフリーズは戦闘を中断した。その損失は571名だった。このとき南軍は次の補給点であるアポマトックス駅から8マイル (13 km) 離れた位置にあり、北軍はファームビルにあり、カンバーランド教会の戦いで移動に遅れていた。 4月7日夜に南軍がカンバーランド教会近辺から離れる前に、グラントからリーに宛てて、その軍隊の降伏を求める最初の手紙がリーのもとに届けられ、リーはまだそれは必要ないと拒否した。リーはその返書で、自軍が降伏する場合にグラントがどのような条件を付けるかを尋ねた。 その夜の間、南軍は3夜連続で撤退の行軍を続け、翌日の午後にアポマトックス・コートハウスの東に到着して止まった。ハンフリーズは2時間ないし3時間休息しただけで、南軍を追跡して26マイル (42 km) 行軍し、ロングストリートの後衛部隊から3マイル (4.8 km) まで接近した。ハンフリーズの部隊も食料を積んだ輜重隊が追いつけるよう、4月9日朝に停止して兵士に休息を与える必要があった。 南軍リンゼイ・ウォーカー准将の第3軍団予備砲兵隊が、4月8日午前1時頃にカンバーランド教会近辺を離れた最初の部隊だった。ウォーカー隊には、幾らかの歩兵に転換させた砲手や、マーティン・ゲイリー准将の指揮する約500名の騎兵がおり、4月8日午後2時から3時の間にアポマトックス・コートハウスから約西3マイルのアポマトックス駅近辺に到着した。ゴードンの軍団は午後3時ごろにアポマトックス・コートハウスの東約1マイル (1.6 km) で停止し、南軍の他の部隊は10マイル (16 km) の間に広がっていた。
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