第二次ノモンハン事件
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「ノモンハン事件」の記事における「第二次ノモンハン事件」の解説
第二次ノモンハン事件に入るとソ連軍は航空兵力を大幅に増強した。1939年6月ハルハ河に派遣された22名のパイロットは日中戦争やスペイン内戦で豊富な戦闘経験を積んでおり、うち11名はソ連邦英雄勲章を授与された精鋭だった。パイロットだけでなく26人の熟練地上要員も派遣され、赤色空軍副司令官のヤーコフ・スムシュケヴィッチ中将が司令官に就任した。スムシュケヴィッチは増援部隊派遣による保有航空機の充足率・稼働率の向上と航空部隊運用施設の整備を急ピッチで進め、さらに監視・警報・連絡網を構築した早期警戒体制を確立した。熟練搭乗員による指導は、経験不足の若い搭乗員たちに空中戦のテクニックを付与して練度を著しく向上させたばかりか士気を高揚させた。ソ連側は日本軍をはるかに上回る数の航空機を動員して、操縦者の練度で優る日本軍航空部隊を数で圧倒するとともに、スペイン内戦に共和国側の義勇兵として参加してドイツ空軍と戦っていたベテラン・パイロットを派遣し、旋回性能の優れた日本軍の九七式戦闘機に対し、操縦手背面に装甲板を装備したI-16によるロッテ戦法や一撃離脱戦法で対抗し、これにより日本軍は開戦時の損耗率10:1から3:1となった。八月攻勢でもソ連空軍は戦場上空の制空戦闘のほか日本軍地上部隊への機銃掃射による対地攻撃をさかんに行った。攻勢中ソ連空軍は合計19,413ソーティの出撃を行ない、その内14,532ソーティが制空戦闘であり、3,216ソーティが地上部隊支援であった。ソ連空軍は航空優勢を獲得したのみならず対地攻撃の実施によって「ソ連版電撃戦」理論で示された地上部隊に対する砲兵部隊と緊密に連携した火力支援の一翼を担った。
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