第二次ネクセン時代、そしてキウムでの引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:03 UTC 版)
「李宅根」の記事における「第二次ネクセン時代、そしてキウムでの引退」の解説
2012年はLG時代から続く故障がシーズン後半に再発し、3年連続で出場試合数が100を下回った。 2013年は4年ぶりに100試合以上に出場し、二塁打31本はリーグ最多と活躍した。 2014年、2015年も主力野手として活躍。 2016年4月12日、同年より新しくネクセンの本拠地となった高尺スカイドームでの韓国プロ野球公式戦初本塁打を記録した。 2017年5月18日、ハンファ・イーグルス戦で鄭ウラムから韓国プロ野球史上初となる代打逆転サヨナラ満塁ホームランを記録した(代打サヨナラ満塁ホームランは史上2人目)。 2015年に当時のチームの後輩だった文ウラムにバットで暴力を振るったことが3年後に暴露され、2018年12月19日、KBOの賞罰委員会でレギュラーシーズンの36試合出場停止の処分(2019年に適用)が課された。さらに文より起訴された。 2019年はこの件もありプロ入り後初めて一軍出場がなかった。同年9月末に暴力事件の判決が出され、裁判所から罰金300万ウォンを宣告された。控訴を断念して刑が確定した。 2020年は開幕エントリーに入ったが、20試合の出場で打率1割9分3厘(57打数11安打)7打点の記録にとどまり、シーズン序盤に得た機会を生かせなかった。結局は6月13日に二軍へ下がりそれ以降は二軍の試合にも出場しなかった。 シーズン終了後に現役引退が報じられ、2020年11月12日、正式に球団より2021年の契約不可が通知された。その後自身が不利益を被ったことについてKBOにキウム球団の懲戒を要求。 これに対してキウム球団は2020年12月9日、2019年の出場停止処分(36試合)から復帰し穏便に引退できるよう配慮したにもかかわらず2020年シーズン開幕後にコーチ職を要求してきたこと、2019年の出場停止処分によって減額された年俸の支給を要求してきたこと、代理人を通して留学費用の支援を要求してきたこと、また防犯カメラでの監視や不当な指示に対する謝罪などを2度の内容証明により要求してきたこと、本人が引退セレモニーを拒否したことなどを公表し、李宅根に対して法的対応をとることを明らかにした。
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