第二号新興丸とは? わかりやすく解説

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第二号新興丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 15:01 UTC 版)

第二号新興丸(だい2ごうしんこうまる)は、日本海軍第二次世界大戦中に運用した特設砲艦兼敷設艦である。東亜海運が所有する貨物船「新興丸」を徴用したもので、同名の特設砲艦との区別のため艦名に第二号と番号を付された[7]。大戦終結時に樺太からの引揚民間人を輸送中、1945年8月22日にソ連海軍潜水艦の攻撃で損傷、多くの死傷者を出した(三船殉難事件)。


注釈

  1. ^ 昭和21年7月1日付 復二第67号の定めによる自動解職。

脚注

  1. ^ a b c d e f g 岩重(2009年)p.40-41
  2. ^ a b 運輸通信省海運総局(編) 『昭和十八年版 日本汽船名簿(内地・朝鮮・台湾・関東州)』其の一(下)、運輸通信省海運総局、1943年、内地在籍船の部823頁、JACAR Ref.C08050084900、画像44枚目。
  3. ^ Ansyu_Maru_class
  4. ^ 「第二号新興丸兵器軍需品目録」『大湊警備府管下引渡目録』 アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08011186200
  5. ^ Cressman (1999) , p. 607.
  6. ^ 岩重(2009年)p.38。
  7. ^ 日本海軍の同時期の特設艦船で「新興丸」の名を持つ汽船は他に2隻ある。特設砲艦「第一号新興丸」は丸井汽船の貨物船「新興丸」(934総トン)を改装したもので[1]、1945年1月9日にボルネオ島沿岸でオランダ海軍の潜水艦「O19英語版」により撃沈された[5]。特設敷設艦「新興丸」は新興商船の貨物船「新興丸」(6479総トン)を改装したもので、1944年10月18日にルソン島沿岸で空襲により撃沈された[6]
  8. ^ 岩重(2011年)p.37には50隻建造とあるが、これは同一要目の新京丸型船体延長仕様5隻を含む。
  9. ^ 関係会社打って一丸 東亜海運会社設立―海運の総合力発揮へ」『大阪毎日新聞』1939年8月6日。
  10. ^ 海軍省兵備局 『昭和一八・六・一現在 徴傭船舶名簿』 JACAR Ref.C08050008000、画像17枚目。
  11. ^ 同様に、丸井汽船の「新興丸」も区別のため海軍部内限りで「第一号新興丸」と改称した。
  12. ^ Cressman (1999) , p. 371.
  13. ^ 木俣(1993年)、229-231頁。
  14. ^ 同船は1945年7月24日の呉軍港空襲により沈没した。1948年浮揚、1967年にパナマ企業に売却され1970年頃に解体された。
  15. ^ 同船は1944年3月30日のパラオ大空襲により沈没した。1957年浮揚、1967年にパナマ企業に売却され1969年に解体された。
  16. ^ 新興丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月20日閲覧。
  17. ^ a b 中山(2001年)、177-179頁。
  18. ^ a b c d e 木俣(1993年)、235-236頁。
  19. ^ Morozov(2010年)、p. 151-153
  20. ^ 軍令部は、当初は停戦交渉成立までの自衛戦闘を容認していたが(昭和20年大海令第48号)、その後、支那方面艦隊を除く海軍総隊に対して8月22日午前0時を基準時として一切の戦闘行為停止を命じている(昭和20年大海令第49号・第50号)。
  21. ^ a b [ミッドナイトジャーナル]樺太引き揚げ船 撃沈の真相”. NHK 戦争証言アーカイブス. NHK. 2023年2月2日閲覧。
  22. ^ 中山(2001年)、180頁。
  23. ^ a b 木俣(1993年)p.229,238
  24. ^ 佐世保地方復員部 『昭和二十一年八月十五日現在 引渡目録 新興丸』JACAR Ref.C08011329300
  25. ^ 函館市史編さん室(編) 「樺太・千島からの引揚げ状況」『函館市史』通説編第4巻、函館市、2002年、98-99頁。
  26. ^ a b c なつかしい日本の汽船ではいずれもパナマの船会社とされ、1974年撮影の「リエン・シン」の船尾にもパナマ国旗が掲げられているが、#慟哭の海p.171に「風の便りではマレーシアの船会社に売り渡され「ゴールデン・バッファロー号」と命名され、東南アジア航路でその生涯を終えたという」とあること、企業名が中国語のようなものであることから、パナマに売り渡された後、マレーシアの華僑、そしてパナマの華僑という順番に売り渡された可能性もある。
  27. ^ 第二十五南進丸
  28. ^ 1946年にシンガポールで連合軍に接収され、マレーシア船として2010年まで活動した。
  29. ^ 海軍辞令公報(部内限)第716号 昭和16年9月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100 
  30. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第815号 昭和17年2月21日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072084300 
  31. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第1185号 昭和18年8月5日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092300 
  32. ^ a b 海軍辞令公報(甲)第1663号 昭和19年12月8日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102200 
  33. ^ a b 海軍辞令公報(甲)第1989号 昭和20年11月22日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072143600 


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