樺太からの疎開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 22:30 UTC 版)
詳細は「樺太の戦い (1945年)」を参照 1945年(昭和20年)8月15日に、大日本帝国政府はポツダム宣言を受諾し、降伏文書への調印意思を連合国へ通達、翌日には各軍への停戦命令の布告および武装解除を行った。これに対応しイギリス軍やアメリカ軍は即座に戦闘行為を停止した。ソ連は8月8日深夜、対日宣戦布告し、満洲、朝鮮、南樺太に侵攻した。 ソ連軍の攻撃から避難させるため、大津敏男樺太庁長官は長官命令で婦女子や老人を優先的に本土に送還させるため大泊港の小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸に分乗させ本土に疎開させようとした。
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