攻撃による沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/24 03:52 UTC 版)
「三船殉難事件」も参照 1945年8月22日午前4時20分頃、増毛沖5海里にてソ連潜水艦L-12に雷撃されて沈没。一部の乗員が救命ボートで増毛町の海岸にたどり着き救援を求め救助活動が行われるが、ほとんどの乗船者が船と共に海中に没し合計638名(乗組員57名、引揚者581名)が犠牲となった(641人とされることもある)。生存者はわずか62名であった。 北海道増毛郡増毛町の町営墓地には「小笠原丸殉難碑」が建てられており、毎年8月22日に町民により慰霊祭が行われている。また、北海道留萌郡小平町鬼鹿海岸には小笠原丸・第二号新興丸・泰東丸の犠牲者を悼む「三船遭難慰霊之碑」が建てられている。
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