攻撃と停滞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/21 18:32 UTC 版)
初日の攻撃に失敗した林中佐は、8月26日夜にも夜襲を試みたが、地理不案内のために今回も飛行場まで到達できなかった。軽巡「天龍」と駆逐艦2隻が支援砲撃を行うために湾内に突入したが、前線と連絡ができなかったため現地の状況がつかめず、橋頭堡から後衛部隊の負傷者を収容して引き上げた。 翌8月27日夜の日本軍の攻撃では、戦車隊(軽戦車2両)の活躍により連合軍の第一線陣地の突破に成功し、オーストラリア軍第18旅団第2/10大隊に70名以上の損害を与えた。しかし、建設中の第3滑走路に到達したところで第7旅団第25大隊ほかの激しい砲火に迎えられ、呉5特は1/3が死傷して後退に追い込まれた。それ以外にも泥土と皮膚病による歩行困難者が続出し、呉5特のうち攻勢に耐える者は100名程度にまで減少した。戦車も泥土のため行動不能となり放棄された。 日本軍はブナ飛行場に航空部隊を進出させて支援を行っていたが、悪天候に阻まれてほとんど成果を挙げることはできなかった。8月28日には戦闘機5機と艦爆8機がラビ攻撃に成功したものの、かえって戦闘機5機と艦爆1機を失った。被害に耐え切れなくなった航空部隊は、ブナから撤退してしまった。 他方、連合軍側も日本軍の激しい攻撃に危機感を抱き、第3滑走路方面へ防衛戦力を集中させると同時に、航空部隊をポートモレスビーへ一時避難させた。第3滑走路付近には、迫撃砲や対空砲による強力な防衛線が築かれた。
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