移民の傾向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 16:51 UTC 版)
1990年代に襲った経済危機によってここ10年で多くの人たちが国外に流出した。40万人を超えるエクアドル人がスペインやイタリアへ渡り、約10万人のエクアドル人がイギリスへ渡った。また、数十万人(推定50万人)のエクアドル人が現在アメリカ合衆国に住んでいて、多くは北東回廊の都市部に住んでいる。 ラテンアメリカ諸国に移住した人や日本やオーストラリアに移住した人もいる。 エクアドル人の子孫でアメリカ人の有名なポップミュージシャンのボーカルにChiristina Aguileraがいる。 エクアドルには約10万人のアメリカ人と3万人を超えるEUから国外追放された人がいる。彼らはエクアドルに仕事の機会を求め、また引退後安く生活できるところを求めて移住してきた。 コロンビアは政治的に不安定で、政治的な力の及ばないところでギャングなどによる犯罪が多く、亡命する人、保護施設を求める人や経済的に恵まれない元コロンビア人が次々とコロンビアにやってきた。ここ10年間を見ると少なくとも45000人の強制移住者がエクアドルに住んでいて、エクアドル政府と国際機関が彼らをサポートしている。2009年のUNHCRによる報告によると、167189人もの亡命者と保護施設を求める人が暫定的にエクアドルに住んでいるという。 ヨーロッパへ多くの人たちが渡ったので、その後エクアドルは人手不足で多くの就職口が空きましたがその仕事の多くは経済に恵まれないペルー人がついた。仕事は農業や特にスキルの必要としないものが多く、公式な統計による数字はないが、その数は何万とある。 アラブから来たエクアドル人のコミュニティーがたくさんあり、その数は何万とあるが、その多くは商工業に長けたレバノン人、シリア人、パレスチナ人の子孫によるものでGuayaquil、Quevedo、Machalaなどの海岸沿いの都市に住んでいる。 オスマン帝国のパスポートでやって来たそのコミュニティーに属する移民はエクアドルの地方独特の文化に溶け込み「タコス」と呼ばれている。 エクアドルにはスペイン人、イタリア人、ドイツ人、ポルトガル人、フランス人、英国人、ギリシャ系エクアドル人のコミュニティーもある。約450人いるエクアドル人ユダヤ教信者の多くはドイツもしくはイタリア人の子孫である。 エクアドルには22万5千人の英語を話せる人と11万2千人のドイツ語を話せる人がおり、その多くはQuitoに住んでいて19世紀後半に仕事を引退して元いたところに戻った移住者の子孫である。多くのヨーロッパからの移民の子孫は出身国から受け継いだものを一生懸命残そうとしている故に、彼らの多くは自分の学校、例えば、Quitoにある German School Guayaquil and German School Quito、Liceé La Condamine(フランス関連) 、Alberto Einstein (ユダヤ教関連) 、The British School of Quito (イギリス関連)などや文化的社会的機関、教会、カントリークラブを持っている。彼らのエクアドルへの社会的、政治的、経済的貢献は素晴らしいものがあり、多くのヨーロッパ人の家族が持っていた遺産はエクアドルの上流階級の人たちのものになり、その家族へ引き継がれていく。 少数ではあるが、アジア系エクアドル人のコミュニティーもあり、その数は2500人~25000人と言われている。それは主に雲南省の中国人と漢人の子孫と19世紀後半に鉱山業者、農家、漁師としてエクアドルへやって来たおそらく1万人くらいの日本人の子孫である。Guayaquilには東アジア人のコミュニティーがあり、中国、台湾、フィリピン、日本人がいる。
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