移民のはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/21 12:15 UTC 版)
鮭漁と缶詰生産には、漁期に多くの季節労働者を必要とした。カナダにはじめて渡航した日本人とされる永野万蔵も、フレーザー川河口付近で鮭漁に従事した一人である。のちに日系カナダ人の選挙権獲得運動に奔走する本間留吉は、1883年に18歳でスティーブストンに到着し、定住している。 1888年、単身スティーブストンに到着した和歌山県日高郡三尾村(現・美浜町)出身の工野儀兵衛は、当地の事情を郷里の漁村に伝え、多くの漁師たちを呼び寄せた。このためスティーブストンの日本人社会では三尾出身者が大きな比重を占めた。なお、移民を輩出した三尾村は通称アメリカ村と呼ばれるようになった。 鮭漁の繁忙期には数千人の日本人がこれに従事した。また定住して漁業を営む者も多くなった。1892年の州規則改正により、カナダ領海での漁撈には英国民に発給されるライセンスが必要となったため、日本人漁民は定住を経て英国籍を取得するようになった。
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